《 人形浄瑠璃 》

       「ととさんのの名は阿波の十郎兵衛、かかさんの名はお弓と申します。」という有名なくだりで、見る人の涙をさそう場面です。

    伝統芸能・阿波の人形浄瑠璃は、大衆娯楽として親しまれ最も盛んであったのは、幕末期から
    明治期だということです。この写真は、「傾城阿波の鳴門・巡礼歌の段」の母と娘の悲しい別れの
    場面で、今も見る人の胸を熱く打ちます。

    阿波の人形浄瑠璃でよく知られている外題「傾城阿波の鳴門・巡礼歌の段」は「阿波なる」とも言
    われて特に好まれ、よく演じられています。さわりの個所などは、人口に膾炙していて、年配の人
    は口づさむことができたようです。


   《 徳島市 阿波十郎兵衛屋敷 》

    外題「傾城阿波の鳴門」に登場する十郎兵衛は、盗賊として語られていますが、このモデルにな
    ったのは、四代将軍徳川家綱の時代、今の川内町で庄屋を務めていた板東十郎兵衛という実
    在の人物だったと言われます。
     実際の十郎兵衛は、阿波藩で今の税関の長に当たる重職にあった忠義の人といわれています。
    その十郎兵衛の生家跡が観光施設「阿波十郎兵衛屋敷」として開放されています。

    屋敷内には、十郎兵衛が生前に作らせた日本庭園「鶴・亀の庭」があって元禄様式を今に伝えて
   おり、資料館や人形浄瑠璃上演館もあって、年間を通じ多くの観光客が訪れています。

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