俳句を作り始めると、季語について
の関心が強くなってくる。ここでは心
のおもむくままに季語について述べ
てみようと思う。

篠(すず)の子・笹の子【仲夏】

篠は細い竹、小竹の総称。入梅
の前後に筍を生じるが、それを
篠の子または笹の子という。食
用になるものもある。

この俳句は、お宮参りの時の作
氏神は春日神社。嬰児がなか
なか泣きやまないので回廊に出
てあやしていると、回廊の下の
笹葎に篠の子がちらほら。スズノ
コという音(オン)の可愛らしさに
惹かれて使ってみた。

 竹の皮脱ぐ【仲夏】

この間まで追いかけっこに興じていた隣家の子が、
すっかり少年になつてしまった。そして徒競走のよ
うに私の傍らを地響きをたてて駆け抜けて行った。
子どもの成長の早いこと。何ということだ! でも、
力強くて頼もしい!

写真のように筍が伸びるに従って根元から次第に
皮を脱ぐ様。次々に皮を脱いで、真緑の幹が現わ
れる情景は旺んなものを感じさせられて力強い。



  

   太古の時代、竹は不思議な霊力のある植物として人の目に映った
   ことだろう。その原因のひとつとして竹の異常な生長力が考えられる。
   竹は地上に筍として頭を出してから約三ヶ月で成竹になる。
   竹から産まれたかぐや姫が、一人前の娘に成長するのも三ヶ月である。
   竹のどの節間も、昼も夜も休むことなく生長を続け一日で 80〜100セン
   チも伸びる。こんなに速いスピードで生長する植物はほかにない。一夜
   にして丈がぐーんと伸びた筍を見ると昔の人ならずとも吃驚してしまう。
   その異常な生長ぶりに、その内部に何か特別な霊力が宿っていると昔
   の人が考えたとしても不思議はない。
   春先に頭をすこし出していたあのやわらかで小さな筍が、夏前には青
   々と茂った立派な成竹になる。これはまさしく神業であって「凡草衆木」
   のなしうる業ではない。

 


竹の葉の散りつぐ昼の鶏鳴に
竹の葉散る・竹落ち葉 【初夏】

竹・笹などの類は、夏には新葉を生じ古い葉を落とす。草木の春や秋とは反対に、
竹の春は秋、竹の秋は春である。3,4月ごろ竹は葉が黄ばんで、他の草木の秋の
様に似てくる。「竹秋」は陰暦3月の異名である。そして初夏「陰暦4月」には、筍が
若竹に生長し、同時に古い竹はしきりに落葉する。草木凋落の秋には、若竹は成
育して春のような鮮やかな色を示す。「竹春」は陰暦8月の異名である。このような
竹の特性を基に、樹木の落葉が冬であるのに対し竹の落葉は夏の季語となる。

見上げると、はらはらはらはらとまるで雪が降ってくるように、竹の葉が降ってくる。
これとよく似た情景に出会ったことがある。その時は、さくらの花びらが音もなく後か
ら後から降ってきた。しかし竹の葉が散るのは、さくらが散るのよりも、もっと軽やか
である。突然、鶏の甲高い鳴き声。一瞬、竹の葉が舞いあがったような気がした。
そして、なおも竹の葉は降り続いて来る。


の子や春日氏子の嬰の泣きて

少年の疾走竹は皮を脱ぎ

若竹の戦げばみえて来る母郷
若竹・今年竹 【晩夏】

筍が皮を脱ぎながら次第に成長
し、盛夏に入ってすっかり竹ら
しい姿をととのえたのが、若竹
である。竹の種類によってはい
くらか遅速はあるが、ま緑の幹
はもとより風にそよぐやわらか
な若葉の風情は美しい。いかに
も日本の風景らしい。


若竹は美しい。風に戦げばなお
美しい。さらさら、さらという
葉擦れの音を無心に聞いている
と、故郷の風景が目に浮かんで
くる。昭和20年代の後半、高校
生だった私は自転車通学をして
いた。一時間ほどの距離であっ
たが、吉野川ぞいの土手や天井
川原の土手など、竹藪はお馴染
みの風景であった。一人の時は
大急ぎで通り抜けたことも今は
懐かしい。(03,6,25)

 
  
遊水地帯

   最近、吉野川の護岸は完全なのではないかと思うくらい上流まで立派な
   堤防が築かれている。藩政時代は堤防を築かせない施策方針で、洪水
   のときに上流から運ばれる肥えた土をあてにして藍作を奨励したという。
   吉野川沿岸の竹林は、水防の必要から育てられ藩政時代には盛んに増
   植されたらしい。
   護岸工事がすすみまた道路が開発されつくしたような今日、自然の景観
   も昔とはすっかり変ってしまった。吉野川の遊水地帯を守っていた竹林も、
   手入れされずに後退しつつあるようにみうける。ともあれ遊水地帯を守っ
   ていた水防竹林は、洪水の水勢をやわらげて砂礫を沈殿させた。その上、
   堤防付近が決壊しても付近に竹林があれば、洪水はそこで大きな石や砂
   を沈めて耕地に微粒砂だけを堆積して地力を高める効果をもたらしたの
   である。竹林は、洪水のときにその勢いを骨抜きにするほか、天井川の発
   達をおさえるため、阿讃山地に水源をもつ支川にも多く植えられていた。
   


 平成十二年の冬、吉野川の代表的な遊水地帯、穴吹町の舞中島へ吟行に
 行って来た。舞中島は吉野川本流と分流にかこまれた「川中島」で、周囲を
 30〜40m幅のマダケ林が島を守っており、今も水防林が健在のようであった。


 
石垣を恃みし月日枇杷の花 枇杷の花 【仲冬】
  
 
枇杷の花は11,12月ごろ、黄を帯びた小さな白色五弁の花が、かたまり咲
   く。目立たない寂しげな花だが、つよいよい香りがする。

   どの家も、家の南側・西側には石垣を巡らしており、また、屋敷の一隅に
   水屋を建てている家もあった。水害から家を守っている様子が、屋敷のつ
   くりからよく分かった。この地から、三宅玄達、三宅速、岡本監輔などの、
   徳島県の代表的な偉人が出ているが、これは、竹林が、水勢をそいで大
   きい石や砂を奪いとり、島の畑には肥えた土が積まれて作物がよく育ち、
   子弟に学問をするゆとりがもてる経済力がたくわえられていたのではない
   かという気がした。

 
木守柿水害の村見つくして  
  木守柿(きもりがき) 【三冬】
 
 
柿は秋のものであるが、冬になり枝の高い所にぽつんと一つだけ実を残し
  てあるのを見かけることがある。来年もよく実がつくようにという、まじないとも
  祈りとも言われている。また、小鳥の分をとってあるのだとも言う。「木守り」
  とはつまり、幸魂(さちだま)の信仰によるもので次の新生を、祈り、うながし
  ているのである。日が射したり翳ったりの日に行きあわしたが、梢に残った
  木守柿の色が印象的であった。

 
冬日影真竹のふかき色を愛で
  竹幹の直ぐなるがよし笹子鳴く
  笹鳴きや輝よう竹はいずくにぞ

  
 笹子鳴く・笹鳴き 【三冬】
  鶯の囀りがホーホケキョであることは、よく知られているが、秋や冬には、チ
  ャッチャッという地鳴きしかできない。この地鳴きを、笹鳴きとか笹子鳴くと
  いう。
  笹鳴きのよく聞こえる日であった。竹林に佇んで、竹取りの翁になった気分
  であった。


  竹とくらし

   竹垣に囲まれた空間は、何でもないように見えながら、実はある意味を持た
   せられている。ふるくから神々のいる聖なる境域は竹垣でかこう習俗があっ
   た。この竹には、穢れや災禍を祓う呪力があり、清浄のシンボルとされたの
   である。今日でも、私たちは知らず知らずのうちにこの思想にどっぷりと浸か
   っている。「おいべっさん」の福笹、「七夕まつり」の笹、「起工式」には、神を
   招くため生竹を立てて注連縄をめぐらし、清浄な神座をつくる。「左義長」は
   小正月の火祭りである。二月堂の「お水取り」で知られている東大寺の修二
   会は、天下太平五穀豊穣を祈る法要で1200年の歴史がある。そこで焚かれ
   る大松明は、直径12センチの根付きのマダケに限られているがこの竹は、
   徳島県から取り寄せたマダケだそうだ。巨大なタケの火力で、人間の煩悩
   や罪障を祓おうというのである。
                             
       

 左義長 大里海岸      お水取り 二月堂         起工式

季語の研究

竹に関係のある季語

 春   植物   竹の秋・春の筍
 夏       天文  筍流し・筍梅雨
 生活  竹植う・竹移す・竹襦袢・竹床几・竹枕 
 筍飯・
 行事  竹伐・竹の神水(たまりみず)
 植物  筍・竹の皮脱ぐ・竹落葉・竹の葉散る・ 
 竹の若葉・竹の若緑・竹の花・竹咲く・竹煮草  
 秋 
 
 生活  竹伐る
 植物  竹の春・竹の実
 冬   生活  竹馬








 ○ 何時の頃からだろうか、竹に強い関心をもって過ごしてきた。竹に関
   する季語と自作俳句を取り上げてみたい。