つれづれなるままに、ひぐらしすずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごと
を、そこはかとなくかきつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ。
徒然草(吉田兼好)
小さい可愛い女の子が「つれづれなるままに」と暗誦していくのには吃驚してし
まった。すずりをパソコンに置き換えたら今の私の心境にもなるのだが、そんな
ことを言ったら兼好さんに失礼に当たるかな?「面白ページ」と銘打ったものの、
ここを見てくださる方も(そんな奇特な方は数少ないかも知れないが)、面白が
ってくれるようにしなくては…と思っている。
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者もついにはほろびぬ。偏
に風の前の塵に同じ。 (平家物語)
心にしみわたる文章だ。今までその時、
その時を懸命に生きてきたと自負してい
た。しかし結果は失敗ばかりのようにも
思えてきて、落ち込んでいる。風の前の
塵に同じと思っていても……
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の 声聞けば 我
が身さえこそ動がるれ (梁塵秘抄)
隣の家に保育所へ通う可愛い女の子がいる。その子の所作や、機嫌よく遊ぶ大声を
聞いていると、ふいと上の歌が口をついて出てきて口ずさんでいた。無心に遊んだ
時代が私にもあったんだ。もう、取り返すことのできない遙かな遙かな時空。21世
紀のこの子供の未来に健やかな光を見たいと願わずにはいられない。
天声人語 (平成15年12月13日)朝日新聞
JR横須賀線の北鎌倉駅で降りる。すぐ前に円覚寺がある。北条時宗の創建で、鎌倉
五山の一つだ。夏目漱石が参禅し、後に小説『門』の中で描いたとされる▼昨日が
誕生から満100年で、没後40年でもあった映画監督、小津安二郎は、ここに眠
っている。山門をくぐり、石の階段をほぼ上り詰めた墓地の一角に、四角で黒い御
影石の墓があるそこには「無」の一文字が刻まれている▼小津は日中戦争で召集さ
れ戦場を体験した。南京に駐留していた時、古寺の住職に書を頼んだ。それが「無」
の一字だった。何枚も書いてもらい友人たちにも送った(『ココロニモナキ ウタヲ
ヨミテ』朝日ソノラマ)▼無常、虚無、絶無、無窮、無碍、無尽……。人を想像へと
いざなう一字である。解釈は、それこそ無限にあるのかも知れない。墓前で手を合
わせながら、ふと思ったのは、「無い」という文字がここに「在る」ということだ
った▼小津監督は、人生で、そこに「在る」ものが失われたり消えたりする過程を
繰り返し描いた。「晩春」「麦秋」「早春」「秋刀魚の味」歳時記のような題の付
いた落ち着いた画面の底には、避けられない別離や、いずれもたらされる不在への
予兆などが、せつなく流れていた▼「無」には、かつて在ったものに対する哀惜が
含まれているのかもしれない。作品を見る側では、監督が写しとどめた「現在」が
かつて在った「あの時」となって哀惜の念を募らせる▼「無」の脇には、生前愛飲
した長野・蓼科の地酒が手向けられていた。
この文章は若者にとっては、面白くもなんともない文章かも知れない。しかし、
いずれもたらされる不在が身近くなっていると感じている私にとっては、見過ご
せない文章ではある。
「時間よ、戻れ―っ」
なぁ―んちゃって