吉野川と工師デレーケ

   吉野川改修に深い関係をもつヨハネス・デレーケは、1842年オランダの生まれ。1873年明治
   政府・内務省土木局の雇工師として招聘され大阪築港計画、淀川筋天満橋以下の改修計画、
   福岡県三国築港の設計、長崎港の改修計画、木曽川改修計画などなど、数多くの業績を残し
   ている。

   「わが国、土工の開山より祖師たり」と言われた人である。デレーケの治水技術の特色は、水源
   地の砂防を重視したことである。明治17年6月には来徳し三好郡上流部まで踏査(1884年)。
   吉野川検査復命書を提出している。吉野川の改修を論ずる時、第十堰はやはり焦点となるが、
   デレーケは第十堰を除いてしまうのがよいという思いきっ
た見解をのべ、第十堰廃止の利害
   得失を検討している。

       《利益のある点》
           1、堰の増改築費が不要となる。
           2、障害物がなくなって幹川の洪水が海に向かって早く流れる。 
           3、別宮川上流の川岸は堰をこえる水勢でこわれる心配が減る。 
           4、吉野川幹川から徳島への通船路が近くなり航行しやすくなる。
           5、第十堰を撤去すると、吉野川末流の流砂量はきわめて少なくな
             り、徳島・撫養間通船路を改修しやすくなる。       
       《不利な点》
           1、第十堰を撤去すると低水のときは吉野川末流に一滴の水も流れ
             ないようになる。〔ここでいう吉野川は、今の旧吉野川のこと〕
           2、川水が多くてもほとんど別宮川に流れる。〔別宮川、今の吉野川〕
           3、幹川を流れる土砂は大体別宮川へゆく。
           4、第十付近から上流にかけて水位が低下する


   今から120年ほど前に、デレーケが提出した吉野川改修の構想は様々な紆余曲折を経ながら
   も、時代や実状に即しながら実現しているようであるが、第十堰は今も存在している。 

   この第十堰をめぐって、今、為政者と市民パワーの拮抗は全国的に知れ渡ってしまったが、今
   後、どのように展開していくのだろう。