| No | 名称 | 所在地 および 古事由来の概要 |
| 1 | 神櫛王墓 | 所在=高松町、王墓自治会の隣の牟礼町側にある。 景行天皇の王子、神櫛王が讃岐安定の功により国造「クニノミャッコ」として着任した。死後、同地に墓を造ったが、荒れるに任せていた。明治3年9月、藩主松平頼聡氏が大修復を行ない、現在に至る。 |
| 2 | 妙覚寺 | 所在=高松町2038番地(津ノ村) 宗派は真言大谷派。本尊は阿弥陀如来。当寺は永禄年間(1558〜1569年)に沙門教立が親鸞聖人「シンランショウニン」の御親筆を守って創建したと伝えられている。 |
| 3 | 赤牛橋 | 所在=高松町、赤牛崎「アカバサキ」近くの相引川に掛かる橋 源平合戦当時(1185年)、屋島は島であった。海峡の幅の最も狭いところ(約200m)であり、相い引の浜と呼ばれ、干潮時は馬で渡れた。 |
| 4 | 高松町交番 | 所在=高松町2478番地7 『みんなでつくろう安心の街を』『ここは地域の安全センター』を合言葉に、市民の平和な暮らしを願って活動している。 |
| 5 | 義経鞍掛の松 鞍掛地蔵 |
所在=高松町2502番地1 源平合戦の昔、源義経が鞍をこの松にかけて、人馬(兵士、軍馬)を休養させたと伝えられている。なお、牟礼町の雨竜ヶ丘が本陣であった。 |
| 6 | 古高松コミュニティセンター 古高松出張所 |
所在=高松町10番地20 コミュニティセンターは地域内の活動の拠点として平成18年8月に今の場所に新築移転された。各種生涯学習・行事の場となり、図書スペースなどもあり、開かれたコミセンづくりを目指している。また、出張所は高松市役所の出先機関で、古高松地区を総括する重要なサービス・ポイント機能を果たす行政機関である。 |
| 7 | 高松東消防署 | 所在=高松町91番地6−7 昭和38年消防隊の設置、昭和55年に隊が発展改称して高松東消防署となる。市民の生命、身体、財産を守る防火活動を行なっている。 |
| 8 | 忠魂社 | 所在=高松町91番地6−7 忠魂社は、西南の役以後の地元出身者の英霊を祀っている。平成5年、この社を守る人達で戦争を語り継ぐ「平和の礎」が刊行された。 |
| 9 | JR屋島駅 | 所在=高松町88番地2 高松・徳島を結ぶ高徳線の重要な駅として人々に利用されてきたが、現在観光客は減少している。 |
| 10 | 高松城 (喜岡城)跡 |
所在=高松町(永の谷) 現在の喜岡寺境内を本丸とした、約240m四方角の環濠屋敷のある平城で、建武2年(1335年)讃岐の守護に命ぜられた舟木頼重が築城。ここの地名を姓として高松頼重と称し、約250年間同氏の居城であった。 天正13年(1585年)頼邑の時、豊臣秀吉の大軍と戦って敗れ、兵と共に落城、その後廃墟となった。 |
| 11 | 喜岡寺 |
所在=高松町1727番地5(永の谷) 宗派は真言宗御室派。本尊は不動明王。当寺は寛喜元年(1229年)僧覚行が開基、常光寺と称したが焼失、この寺の西側に喜岡城跡があり、文禄3年(1592年)古高松地区の旦那衆が常光寺の復活を願って堂宇が完成、喜岡寺と称した。 |
| 12 | 宝太郎坊大権現 | 所在=高松町1560番地(白井) 宗派は真言宗当山派。本尊は宝太郎坊。不動名王・虚空蔵菩薩・八大竜王が祀られている。土地の山法師大助が身延山から宝太郎坊を勧請、宝を生む仏、敬愛増益の化身とされ敬祟されてきた。 |
| 13 | 古高松三角点 | 所在=高松町(地部谷) 菱の池の西堤防上 屋根下に二体の石仏があり、その北側に四角の石柱が埋められている。それが三角点である。三角点は建設省国土地理院の管轄地点であり、水準点と共に地図作成のための重要なポイントである。 |
| 14 | 延命寺 | 所在=高松町1213番地(地部谷) 宗派は真言宗御室派。本尊は薬師如来。創建は古く万寿2年(1025年)であったが、衰廃を繰り返した末、元禄14年、屋島寺の竜宝が初願で再興された。 |
| 15 | 木内龍山碑 | 所在=高松町398番地 古高松小学校 校庭の西北隅にある石碑 江戸幕末時代、勤皇の志士で円座町の小橋家に生まれ、長じて高松町帰来の木内家の養子となる。『龍山漫録』や『撃攘録』を刊行、その他著作も多い。また、自ら私塾を経営し、やがて官制の小学校へと発展した。(古高松小学校) |
| 16 | 長尾1号墳 | 所在=高松町1126番地(長尾)笠井幸雄氏宅の裏山 盛土古墳で、墳丘の長さ13.8m、高さ2.4m、横穴式石室で羨道は欠け玄室の入口で開口、玄室の奥行き3m、幅24m、高さ1.8mであるが、古くから開口のためか遺物類はなし。 |
| 17 | 金刀比羅神社 岡山小古墳群 |
所在=新田町乙5番地2 祭神は大物主命。本殿は流れ造り銅板葺。拝殿は入り母屋造り瓦葺。この金刀比羅神社を岡山神社ともいう。また、社の西南の山中に15基の小さい古墳があり、これは古墳時代の最後のものといわれている。 |
| 18 | 国立療養所 高松病院 |
所在=新田町乙2番地8 昭和22年4月発足、年中気候温和で療養に最適の丘陵性の環境である。 |
| 19 | 久本神社 | 所在=新田町乙16番地(久本) 祭神は菅原道真。別名、久本天神社(久本天満宮)、応和年中(961〜963年)に讃岐守紀夏井の孫、久本久実らが創建した石文が建っている。また、拝殿には古来奉掲額がある。例「雨だれのほかに音なし春の雨」 (其月) |
| 20 | 久本古墳 | 所在=新田町甲2009番地 古墳時代後期(6〜7世紀)に築いた横穴式石室古墳で、巨石を用いて部屋が造られている。玄室の奥には石棚があり、昔は陶棺が安置されていた。 |
| 21 | 高松市茶臼山古墳 | 所在=新田町の南端、茶臼山の山頂、標高50mに位置する。 4世紀頃に築かれた大豪族の墓である。全長66mの前方後円墳で、被葬者は大和朝廷から来た支配者であった。高松市の史跡に指定されている。 |
| 22 | 正蓮寺 | 所在=新田町甲2440番地 宗派は真宗興正派。本尊は阿弥陀如来。昔、現在地の北に正行庵があって、享和年間(1801〜1803)に今の地に移す。明治12年、正蓮寺と改名。 |
| 23 | 新川南橋 | 所在=春日町と新田町の境を流れる二級河川、河口から2つめの橋である。 通称、学校橋とも呼ばれている。また、この橋は交通の要所であり、交通難所でもある。新川は、途中で吉田川を合わせ、最後に春日川と合流し瀬戸内海にそそぐ。 |
| 24 | 高松大学 高松短期大学 |
所在=春日町960番地 昭和44年4月、単科大学(児童教育科)を開学。その後、音楽科・秘書科を設置、さらに平成7年には大学(経営学部産業経営学科)を設置、確実に発展している。 |
| 25 | 古高松南 コミュニティセンター |
所在=春日町782番地2 春日町・新田町の文化活動の拠点として重要な機能を果たしている。 |
| 26 | 春日神社 | 所在=春日町736番地(宮ノ原) 祭神は天津児屋根命他。創建は天平年中に久宋寺をまず建立し、その伽藍の鎮守として神社を設けた。 後、今の地に移しこの地区の産土神「ウブズナカミ」として尊崇され栄えてきた。 |
| 27 | 常照寺 | 所在=春日町485番地(宮ノ原) 宗派は真言興正派。本尊は阿弥陀如来。明治時代、信仰道場として最正庵を開き、昭和24年住職山地政行氏が常照寺と改称した。 |
| 28 | 仁木徳萬顕彰碑 | 所在=春日町308番地2 仁木小左衛門(永正10年(1515)〜天正2年(1574))は徳萬さんと呼ばれ、父作十郎から春日惣の名主を継ぎ、生涯を古里の開発に尽くした。土木灌漑・治水につとめ、特に鮫池・久米池の築造や改修に貢献した。 |
| 29 | 仁木徳萬 開発の鮫池 |
所在=春日町(南春日)最南の地に築造された平地の溜池である。 堤防は全て築き上げて水をためる方式なので、人力と金のかかった池である。 |
| 30 | 菱の池公園 | 所在=高松町1211番地28 菱の池の半分を埋め立て、公園として利用している。少年サッカー、消防団演習、その他各種団体の運動会、スポーツ大会、イベントなどに幅広く活用されてきた。 |

1〜30までの各箇所の所在地と古事由来の概要は下記の一覧表をご覧ください。