第5回 青森駅とりんごの思い出私が2回目に北海道へ行ったのは秋も深まった10月下旬の頃でした夏一面 緑一色
だった原野や畑が3ヶ月過ぎた今 その面影も無く一面の枯れ野ヶ原に変わっていたのです、夏働いた酪農家もすでに冬支度が整い まわりの柏木の枝には かけすの鳥が見られました、帰りは寄り道をしたため一人旅で室蘭本線に乗りました、時間がたつとだんだんと山間部へ
と入り函館本線に入ると見事な紅葉が目に入るようになりました、
さらに函館が近ずくと列車の両側には目を見はるような光景が展開し赤、黄、オレンジと始め
てみるすばらしい眺めに我を忘れて見入ったのでした、感激さめやらぬうちに函館から青函連絡船に乗りました、
しかしこの時津軽海峡は波が高く、十和田丸6000トン(だったと思うのですが)の船体が
大きくゆれたのでした、船の進行方向に向かって寝てはいても足が船の傾きにつれてずる
ずると動くのです、一人旅の心細さも重なって不安な予感がよぎり 救命胴衣の場所と
非常口を何度も目で確認したものでした、だが やがて陸奥湾に入ると船もあまりゆれなくなり何とか青森港に無事着いたのです、青森駅から上野行き急行 みちのく に乗り込み席も取れてほっとした時の事でした、
駅のホームで かすりの着物にもんぺ姿の若い娘さんがりんごを売っていたのでした、北陸本線を通ったとき、また月寒の牧場見学のときなどに見た 枝もたわわに成っていた
りんご、 南国育ちの私にはこうした風景になぜかあこがれていたものですからついうれしく
なってすぐに買ったのでした 有り難う御座いました、300円で竹かごに10個ほど入った大きなきれいなりんごを手わたしてくれました、
何かこちらからお礼をいいたいようなうれしい気分でした、だがそれからが大変でした、一人旅は不便なもので当時はコインロッカーも無く トイレに行く
にも手荷物預かりを利用しなければならないような時代でした、上野から東京駅 更に東海道本線 大阪から南海汽船で四国へと そのりんごを大切に
持ちかえったのでした、それは私にとって特別な味のりんごのように思えました、今でも青森駅ではりんごを売っているのだろうか?町でりんごを見かけるたび50年過ぎた今でもその時のことが懐かしく思い出されます、
このりんごが私の人生で1番すばらしい買い物だったような気がします
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