借金を返した頃(33歳)から再び

町の友人に声をかけてバンドを始め

たのです、ドラム、アコーディオン、

ベース、サイドギター、トランペット、

リードギターの構成で私は今度はリードギターを担当しました、

今度は簡単に仕上がりました、その年旧 日和佐町では新しく公民館

が出来たのです、その落成式に私たちのバンドでフィナーレを飾った

のでした,

その頃はカラオケも無い時代でした、500人くらい入れるホールでした

が1000人くらいの来客があり超満員になりました、

さらにあちこちから依頼があり クリスマスパーティー、結婚式、祭り、

祝賀会 ダンスパーティー、落成式、のど自慢等によく呼ばれて行き

ました、しかしどんな曲の注文があるかわかりません,

私たちは全員1冊の 歌謡曲のすべて と言う本を持っていました、

それには昔からの約700曲(ほとんど演歌なのですが)の楽譜が載っ

ているのです、これに自分の楽器に合わせてアレンジしていました、

それと少しの新しい曲の楽譜でほとんど間に会いました、(と言っても

満足に演奏できませんが)そして演奏に行くとギャラをくれるのです、

プロではないのですがくれるものはもらいました、

そのお金で備品を買ったりユニホームを買ったりすることができました、

また時々こずかいの足しに、と余りのお金を分配したこともありました、

そして毎年正月にはチャリティー歌謡ショーを行いました、

来客の人達から心ばかりの寄付金をいただき経費を差し引いた残りを

寄付したのです、

この時も沢山の入場者がありました、この曜なことが5〜6年続来ま

した、しかしこれもいつまでも続きませんでした、やがてカラオケが大き

く伸びてきたのです、それと共に歌手も増えて次々と新曲のリクエスト

が来るようになりましたが楽譜がなかなか間に合わないのです、

レコードを聴いて楽譜を核の意も時間がかかり大変なのです、

出来るだけの努力はしてみたのですがとうとう 7年程続いたバンドも

カラオケに押されてしまいました、しかし本当に楽しい思い出になりま

した、今でも楽器 機械などは大切に保存してあります、いつか

もう一度 ジジイバンドでもやりたいなあ、、

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私の回想録

第18回 バンド演奏