第35回 村の映画会
私たちが小学生の頃私達の部落(20戸)で年に1〜2回映
画会が行われました、集会場もなかったのか我が家と と
なりのHさん宅で交互におこなわれたのです
小さな映写機でそれにはアメリカ製で NATOKO と書かれ
ていました
タイトルは覚えていませんが映画の内容は今でも少し記憶
に残っています、何しろその頃は映画自体がめずらしかっ
たのです、
映画がクライマックスになるといつもヒューズが切れて停電
になるのですが急いでBOXのヒューズをつなぎ再開となる
のでした
やがて中学生時代の頃になると村(120戸)の会堂(現在
の公民館)で毎月映画会が行われるようになりました、
当時娯楽といえばラジオくらいしかない時代でしたのでその
日は大勢の人が見に行ったもので会場はいつも満席でし
た、婦人会、小学校PTA,青年団が交代で主催者となり地
区の役員が前売券を売りに行きほとんどの家の人が何枚
も買ったのです、一枚40円位でした、
車もない時代で皆が連れ添って数キロの夜道を見に行った
のです農作業に明け暮れていた人々にとって唯一の娯楽
であり時代の文化に触れる数少ない機会でもあり楽しみに
していたのでした、
最初に漫画映画があり続いてニュース映画 そしてメイン
の映画があるのです、
美空ひばり、石原裕次郎、小林旭、中村錦之助、山本富士
子、等の主演映画で少し遅れたフィルムが廻ってくるので
すがそれでも 当時の憧れのスターの登場で心ときめいた
ものでした、
私たちも町の映画館へ時々映画は見に行ったものですが
やはりこれも楽しみに村の人達といっしょに行きました、
映画の途中いつも中休みがあるのです
それは映写機が1台しかないため 1巻が終わると取り外し
て次のフィルムと交換するためでした、
タイトルは 錆びたナイフ、嵐を呼ぶ男、赤い夕日の渡り鳥
、旗本退屈男、青い山脈、等今でも良く覚えています、
やがて映画も終わり夜もふけて興奮覚めやらぬうちに数人
で賑やかに話しながら再び数キロの夜道を帰って行くので
した、
それは私が青年団に入ってからも続き私たちも券を売りに
行ったことがありました、しかし やがてテレビの普及と共に
いつしかなくなってしまいました、
振り返って見ると今の映画よりはるかに楽しかったような気
がします、
遠い昔の思い出の1ページです、
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