私が花と始めて出合ったのは
小学校低学年の頃でした
まだ終戦から10年足らずの
時期で食料も満足にない時代
でした、
祖母は家の前の花壇で良く花
作りをしていたのです
芍薬 立ちアオイ 菊 コスモス
グラジオラス ダリヤなどいろんな花を
作り それを切花にして私に持たせる
のです、
小学校へ持ってゆくと 担任の先生が
ありがとう と喜んでくれそして それを
教室の花瓶にいけてくれるのです、
子供心にもうれしかったことを良く
覚えています、
やがて 高校の農業科へ行くようになり 
趣味で洋ランの栽培をするようになり
ました、
家の庭へフレームを作り温度を入れて
いろいろ作った事を覚えています、
やがて 本格的に花作りを始めた
のが27歳のときです、畜産から園芸
へ転換して 洋ラン 電照菊など
いろいろ作りました、
洋ラン(シンビジューム)も3年後には
20アール 15000鉢まで殖やしました、

そして 30歳から花の商売を始めました、
やがて 45歳の頃花屋を始めてすべてを
花に託したのです、
そして 暇を見つけて 家の周辺にも さつき100本 平戸つつじ70本さざんかや 生きてる間は忙しいので死んでから二人でゆっくり花見をしようか との思いで家の周りや墓の周りに桜も10本植えました
大きくなって 数年前から咲き始めました、

やがて 40年前から行ってきた稲作もやめることになり110アールの水田が空いてきたのです、
そこでこれを利用して何か村おこしにならないかとの思いで花作りを考えました、
最初は ダチュラ(エンゼルトランペット)の苗を数百本挿し木で作り
これを植えて見ました、
だいぶ大きくなり咲き始めていたのですが 大きな雨が降ると湿気に弱いのかほとんど枯れてしまいました、
今度は 赤花芙蓉の苗を挿し木で増やしそれも数百本植えました、
だいぶ咲いていたのですが しかしそれよりもアメリカ芙蓉の花が
大輪でとても豪華なのです、
また思い直して これの挿し木をして植え替えしました、
やがて きれいに咲き出したのですが 今度は開花期間が短いの
です、これも失敗です、
いろいろ考えた結果 またもとの赤花芙蓉に決めました、
花はアメリカ芙蓉より少し小さいですが 色もきれいで6月下旬から
12月まで咲きます、
そして何よりもありがたいのは 宿根草なので冬には地上部は枯れ
てしまいます、
そして もし時代が変わって稲作復活ともなれば 水を当てると全滅
して土地を荒らさずに済みます、
昨年 道の駅へもこの花を植えてきれいに咲きました、
そして これを1200本作りました、
今年はこれを45アールに植えます、
何度も失敗をしましたが 今度はうまく行きそうです、

45アールの芙蓉の里が出来ることを夢見て、、、、、


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