私の回想録

田舎の暮らし

私の近所に一人の高齢の女性の方がいます、
戦争未亡人で 一人の男の子がいたのです、
しかし 高校卒業後しばらく家にいたのですがやがて都会
へと就職して行きました、
残された母は 義母と二人で長年頑張って家を守って生活
してきたのです、
戦後の厳しい時代から 女手一つで子供を育て 生活して
ゆくことは並大抵のことではありません、
しかし やがて義母は高齢とともに他界しその後一人で頑張
って生きてきたのでした、
長男も都会で家を建て 母を呼んだこともありましたが 長年
田舎で暮らしてきた母にとってはなじむことが出来ないのです、

やがて本人も高齢とともに認知症の症状とともに 老人施設へ
と行くようになり 長年続いてきた家の灯が消えました、

そして 長男も定年になり 数ヶ月に一度帰って来て 母を施設
から家に連れてきてあげて久しぶりに家に灯がともるのです、
それを見るとき ほっとするとともに涙がこぼれます、
もちろん本人も家に帰っていることは分からないでしょうが 
夢の中では昔の良かった頃に戻っているように思えます、

またある日 こちらはベルセンターです 近所のAさんとHさんの
連絡員になってくれませんかとのことです、
近所の一人暮らしの方が電話しても出ないときに見に行って欲しい
との事です、定期的に高齢者の家に電話して無事を確認する
システムとのことです、
まさかの時には ガラスを割ってでも入って確認してほしい、、
とのことでした、
頼まれなくても当然の役目との思いから いいですよと返事を
したのです、
そして2〜3ヶ月したとき電話がかかってきたのです、いくら電話
しても出ません、見てきてくれませんか、
とのことで行くと いないのです、玄関の鍵が空いていたので入って
2階から 押入れまで見たのですがいないので子供さんの家へ電話
するとそこへ行っていたのです、そしてその旨を電話しました、

Aさんには 3度ほど連絡がありました、其のうち一回は夜です見に
行っても もしものことがあれば との思いで これは大変な役を受け
持ったなとの思いもありましたが 長年お世話になった近所の方への
恩返しとの思いで 行くと其の日は居てくれてほっとしました、
Hさんには 2回ほど連絡がありましたが、行くと居てくれましたしかし
いつどんなことがあるかも知れません、
今 田舎ではひとり暮らしの方が大変多くなりました、
もし 亡くなっていても知られずにいることもありかねません、
子供達が呼んでくれても 長年田舎で生活してきたものにとっては
都会の生活にはなじめないのです、
私の村にも 一人暮らしの高齢者の方が多くなりました、
高齢者会の方々も お互い連絡網を持ってお互いの無事を確認
しあって助け合って生活しています、
今 団塊の世代の方々 定年退職で 悠々自適の生活もいいですが 
田舎に残された両親にも出来るだけ 手を差し伸べてあげてください、
高齢者にとってわずかな気持ちでもうれしいものです、



   
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