私の回想録
      第30回  次女
子供を育てるのは大変なことですがそれにもまして かけがえのな

い楽しい思い出を残してくれるものです、
次女は小さいときから大の子供や動物好きでした、
中学時代のある日1匹の犬を連れて帰ったのです、学校にかわいい

野良犬がいたのです、それを友達に手伝ってもらい汽車通
だった

ので駅員に分からないように大きなダンボールの箱に入れ
て連れて

きたのでした、
しかしそれはいかんと言うことで代わりの犬をもらってやるからと

うことで3日ほど餌をやり 返したのです、
元の場所へ置いても 帰りの車に2km位 ついて走ってきたので

がそのうちあきらめました、娘はかわいそうだと言って泣きなが


帰ったのでした、
ところが翌朝玄関の戸を開けるとその犬が寝ているのです、
それから数日して柴犬をもらってきました、娘はたいそう喜んで毎

餌と散歩に連れて行き自分の子供のようにかわいがったのです、
やがて1年が過ぎた頃ある日私がトラックをバツクさせたところ急に

がキャン キャン キャンと飛び出して50mくらい走りそのまま

ぐったり
と動かなくなってしまったのです、
後ろで寝ていたのに気が付かなかったのです、すぐに獣医さんへ

連れ
ていったのですが注射をしてもらって帰ってきても全く動きま

せんでした、
その日は娘が帰るまで仕事も手に付きませんでした、
夕方帰ってきた娘は泣いて怒りました、
そしてその晩娘は犬を居間へ上げ毛布を着せて自分もいっしょに

寝た
のです、 

夜中に心配して見に行くとやはり其処で寝ているのでした、
それから3日ほどは寝たきりで何も食べませんでした、
しかし4日目からは少しずつ動き出したのです、娘は犬を抱いて

散歩
につれて行くのでした、
やがて娘の気持ちが通じたのか犬もだんだん元気になり又もとの

よう
に元気になったのです、
私は次女だけは1度も叱ったことがありません、又勉強しろとも言

いま
せんでした ,

特別かわいがったわけでもなく あきらめていたわけでも
ないの

ですが、とにかく親にはほとんど心配をかけないのです、
間違ったことはしない反面 頑固な所もありました、
やがて高校へ行くようになると今度は友達とバイトを始めたのです、
本屋へ行き、スーパーへ行き、薬王寺へ行き 自分でさがしてきて

休みになると朝早くからでかけて行くのでした、
実にたくましいのです、私もお前男に生まれていればよかったな と

何度も言ったものでした、
やがて修学旅行が来ると十数万円のこずかいを持って行くと張り切

ていたのですが学校であまり持たないようにと言われて少し減ら

した
ようでしたが全く親に負担をかけないのでした、
ある時も学校から帰ると 今日学校で生徒会長の選挙があり私が

1番
だったけど過半数に足りなくて決選投票で男の子に負けて

しもた と
ケロツとしているのです、 

また卒業の年 店の開店と重なりとても良く手伝ってくれました、
やがて県外の学校へ行くのですが送るのは港まででいいと言う

ので
小松島港まで送って行きました、
頑張ってな、うん頑張る、と言って見送ったのですが娘はしっかり

してい
るのに帰り道私は何度も涙をぬぐって帰ったのでした、
やがて娘も帰ってきて今度は店の手伝いをしてくれるようになった

です、

そして今度はフラワーデザインを習い始めたのでした、
店の切り花部門を担当して花束、アレンジメント、結婚式の花と、

切り
花関係はほとんど引き受けてくれました、
フラワーデザインの資格も取得して教えにも行くようになりました、
おかげでわたしの店も大きくプラスになったのです、
しかしそのうち縁があり となり町へ嫁いで行きました、
結婚しても最初は店へ通って来てくれていたのですが子供が2人

なり とうとう来られなくなりました、
時の過ぎるのは早いもので この孫達も中学生になりました、

ラジオを作った頃を 今この孫達に重ねて懐かしく思い出しています
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