第二の案はいつか読んだ本の
観光農業 と言う記事でした、
そしてこれを実行してみることに
したのです、

咲き始めたらんを数百鉢 ハウス
の1箇所に集めて値段を付け
展示コーナーを作ったのです、
そして国道の端に看板を立てた、
のです、

観光洋ラン園と展示即売会と言うタイトルで看板もすべて自分で製作したのです、
すると忘れもしません、その翌日3台の車が来てくれたのです、
国道から2kmも入った私のハウスまで来てくれたのです、
失敗したと言ってもランが枯れたわけではありません、
当時大型シンビジュームの花は珍しく 来た人のほとんどの人が
喜んでくれました、
そして何鉢か買って行ってくれたのです、
次の日も次の日も数台の車が来てくれました、

うわーきれいー、 来て良かったー、また来年も見せてくださいね、
地獄に仏と言うか涙が出るほどうれしかったことを覚えています、
こんな花の中で仕事が出来たらいいでしょうね、
洋ランを始めたとき夢に描いていたこんな言葉もいつしか忘れて
いたのでした、
そしてランも少しずつ売れて行きました、

そんなある日 地元の徳島新聞の記事に大きく載せてくれたのです、
すると1週間くらいの間大勢の客がきてくれたのです、
さらに朝日新聞の四国版にも取り上げてくれて香川県や高知県からも大勢の客がきてくれました、
思いがけない展開に私達も驚いたのでした、

やがて5月になり観光も終わったのです、
1つの案が成功とまでは行かないまでも何らかの成果がありました、
しかし生活の足しにはなっても借金の返済にはおよそほど遠いもの
でした、
だが 第3の案で私の人生が大きく変わったのでした、

     
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私の回想録

第15回  観光洋ラン園

ひとつのアイデアが人生を変える
と言う言葉があります、
どんな事態になっても夢をなくした
らそれで終わりである、
人生考え抜けば何とか道は開ける
ものである、