私の回想録
 第39回   家族
楽しいとき 苦しいとき 家族と言うものはみんなで力を合わせて

頑張っ
てくれるものです、
今振り返ってみると私にとって一番幸せだったと思うのは 子供達

中学生の頃でした、当時は経済的にもあまり豊かではありま

せん
でしたがそれでも商売に出るようになりわずかにゆとりが

出来た頃で
した、
長女は学校から帰ると私たちが仕事に追われていることを察

してか
毎日決まって夕食の準備をしてくれるのです、
お前 なかなか料理上手だなー、そう言うと喜んでさらに一生

懸命自分
で材料を買ってきて作ってくれるのです、
お世辞だけでなく本当に上手にいろんな料理を作ってくれるの

でした、
そして夕食時にもなると友達の事 先生の事 その日

の出来事をおも
しろおかしくいろいろ話してくれるのです、
長女は実に明るくユーモアがあるのです、家族一同テレビも

忘れて
その話に爆笑したものでした、それにつれて長男も次女

も自分達の
ことをまけじと話してくれたのです、

私たちにとっては何にも代え難い
うれしい時間でした、
そんな日々が数年続きました、
商売に出ていた私も家に帰るのが何よりも楽しみでした、
又長男も 勉強に スポーツにと私たちも感心するほど頑張って

くれ
たのです、
スポーツも野球部でキャプテンとピッチャーをつとめ対外試合

にも何度
も行き私たちもついて行って夢中で応援したものでした、
先生も文武両道だな と誉めてくれ当時私もPTA会長をさせて

もらって
いたのですが鼻が高かったものでした、
又休みの日にはランの出荷などよく手伝ってくれ 私たちも

 子供達
も みんなが精一杯頑張ったのです、

このまま時間が止まればいいと思ったことも何度もありました、
しかし子供達もいつまでも親のふところばかりにはいてくれません、
長女はやがて看護婦として独り立ちし就職してその道を歩み始め

した、
それから数年が過ぎ長男は高校から県外の大学へと進みました

やがて私たちの意見を聞いてくれて町の役場へ就職が決まり

家に帰
ってきてくれました、
店の手伝いをしてくれていた次女もやがて隣町へ嫁いでいったの

です、
しかしその頃から頑張っていた家内が更年期障害の影響か過去

の無
理が影響したのか 体の不調が出始めたのです、
床に就くほどではないのですが何度も病院通いをするように

なったの
です、

娘2人がいなくなって心細かったのかも知れません、
仕事の方も相変わらず忙しい日が続き無理が重なるようになりました
そんな時長女が長年勤めた病院を退職して帰ってきてくれたのです、
店の手伝いをし、私に変わって家内を温泉に連れていってくれたり
外食に行ったり 買い物に連れて行ってくれたり  話し相手になって

やってくれたのです、
しかしすぐには病状も回復するわけではあり

ませんが大きく心の
支えになってくれたのでした、
だがいつまでも娘を家におくわけには行きません 縁と言うものは

不思
議なもので2年後の今年3月とうとう長女も思いがけず九州へ

嫁いでい
ってしまったのです、

家内も思い出しては何度も涙していましたが娘を遠くへやることは

さぞ
かしさみしかったことと思います、
九州での披露宴の席でカラオケの途中私もつい昔を思い出して

ホロリ
となり お父さん頑張れ の声援を受けました、
私もすっかり涙もろくなってしまいました、
大勢いた家族も次第に少なくなってしまいました、こんな時代も

2度と
来ないかもしれませんがよかったころの思い出はいつまでも

こころの
支えとして大切にしたいと思っています、
元のページへ戻る、