私の回想録


第11回   北海道農業体験記
私が北海道へ最初に行ったのは高校三年生

夏休みでした

前回でも書きましたが1ヶ働いて帰りの旅

費を稼いで帰る計画でした、
大洪水に会い到着するのが約2日ほど

遅れて徳島を出て
4日近くかかり目的地

の勇払郡早来町へ着きました、
初めて見る北海道は広大で大陸的で実にすばらしい印象を受けたのです、
私の受け入れ農家は開拓地のK氏の牧場でした、そこへH君と2名で入りました、
乳牛が10頭位と畑が10ヘクタールありましたが開拓地に入植して間もないため

吉幾三の唄ではないですが
 テレビもなく、電話もなく、電気もなかったのです、  

だがそんなことはどうでもよかったのでした、
Kさん夫婦は遠くから来た私たちをランプの下でこころよく歓迎してくれました
そして翌日から仕事である、起床は5時で酪農家の朝は早いのです、

しかし私は家で手伝いしていましたので慣れ
ていました、
そうか 搾乳が出来るのならこの牛を頼むよ、 はいと言うことでそれが終わり 

終わりました と言うと次はこの牛と
言うことで私の担当は毎朝3頭の搾乳でした、

友人は畜舎の掃除と敷きわらなどに追われ7時に朝の作業
が終わるのです、
それが終ると乳牛と馬を放牧場へ連れて行くのですが馬に乗るのが面白いため

毎日交代で行ったものでした、
朝食を済まし8時から畑の仕事が始まります、トウモロコシの除草、小麦の刈り取り、

ビートの収穫など
広い畑を競争で作業を進めて行くのです、
5時になると放牧場から乳牛を連れて帰り搾乳なのです

そして7時から夕食となり8時にようやく一日が終わります
それからが自分達の時間なのだがゆっくりしてはいられない、洗濯をしなければ

いけないのです、


北海道は昼はかなり暑いが夜はとても涼しいのです、
ポンプでくみ上げる水も8度

と大変冷たく昼間の暑さが
まるでうそのように思えたものでした、
ランプの明かりで 又 月の明るい夜は月明かりで黙々と洗濯をしたのでした、
遠くから聞こえてくる ゴーーと言う長い長い 夕張炭坑 から石炭を運ぶ貨物列車

の音、仕事はきついとは思い
ませんでしたが ふと故郷がなんとなく恋しくなった時

東の柏木の上に出ていた満月が今でも印象に残っています、
野生の 野ぶどうの実 散髪をしてくれたとなりのおじさん漫画を貸してくれた近所の

子供達、遠くに見える樽前
山の赤い夕日、休みの日に登別温泉へ行き乗り換えの

汽車がなくなり鉄道を歩いて帰ったこと、白樺の林、盆踊
りの夕べ、支笏湖でのボー

ト、1ヶ月の出来事を1ぺージ
に書く事は出来ませんがすべてが新鮮で私の人生の

中で
一番楽しかった時代でした、
とにかく1ヶ月 がむしゃらに働きましたが私にとっては実にすばらしい1ヶ月でした、

やがて8月も終わりに近ずき Kさんとも別れの日がきまし
た、

私たちが時々 ブドウ酒を飲んでいるのを見ていたの
かKさんはちゃんと買って来て

くれていました、
もう いつ会えるか分からないね、
最後の晩 涙して私たちとの別れを惜しんでくれました、
次の日Kさん夫婦に別れを告げて自分達のグループが早来駅へ集まりました、

其処で早来町役場から全員一律に報酬を渡して
くれたのです、3500円ですが、

1日の報酬ではありませ
ん1ヶ月でそれだけでした、
と言っても決して安いと言う訳ではありません、このお金で帰りのキツプが買えた

のです、そんな時代でした、


この3500円が私の人生最初で最後の給料になりました、
帰りは青森へ寄り 仙台へ寄り 東京へ寄り 皆好きなよう遊んできたのです、

私はいつも時刻表の係りでした、
仲間は11名でしたが昼は観光 夜は汽車の中と言った繰り返しで夕方に時間と

場所を決めておいて集まり汽車に
乗り込むのです、
最後に東海道本線に乗り大阪から船でようやく徳島に帰ったのでした、
その時帰りの荷物といっしょにすずらんと蝦夷透かしゆりの株をもらって帰りました、

毎年5月になるとすずらんとオレンジ色の蝦夷透かしゆりが咲き過ぎし日の北海道を

思い出させてくれました、
私の青春時代の1ページでした、

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