思いがけない家内の病気で長年続いた 
花店を思い出と共に閉店することにな
りました、
16年続いた花屋も 家内の体調が崩
れて店へ行けなくなり平成16年9月より
閉店しました、
良かった思い出とともに忙しかったが 
私にとっても
やりがいのある充実した期間でした
私もちょうど60歳 定年の年で そんな
時期が来ていたのかもしれません
順調に推移した花屋のおかげで借金
もなく 家も建て 納屋も建て 墓も作って
行くところも出来て 2人が入る老人ホーム
のお金も準備できていました、
しかし 収入がなくなると言うことは思った
より苦しいものでした、
貯金を切り崩しての生活はしだいに 
気が小さくなり わずかの期間でしたが
私の性分として耐えられない
生活となったのです、
と言っても病気の家内を置いて商売
することは出来ません、
その頃 日和佐に 道の駅 が出来るとの
情報が入りました
早速 説明会に参加しましたが 70〜80人
くらいの方が参加しており関心の高さが
伺えました、
朝 商品を出しておくと 自分が行かなくても
売ってくれるのですこれなら私にも今までの
経験を生かして
参加できるとの思いで花の出品 で申し込ん
だのです、
やがて翌年の4月17日 道の駅日和佐 が大きく
オープンしました
花の部門は4人が参加して始まりました、
私は長年の経験から できるだけ一般の花屋
やホームセンターでは買えないような変わった
商品を置くことに力を入れました
どこにでもあるような商品を安売り合戦しても
儲けになりません、
他では買えないような品を置くことによりだんだんと客も増え 
売り上げが伸びて行ったのです、
貯金の切り崩しでの生活と違って 収入があることはとても
ありがたいものでやりがいも充実感もありました、
やがて2年が過ぎましたそんなある日 駅長が 売り上げ 
秋山さんがTOPですと言ってくれたのです、
まさかそんなことなど想像もしていなかったのですが 
100人以上の出品者のいる中で ありがたいことです、
初めてから4年間は売り上げも右肩上がりに伸ばして
くることが出来ましたが5年目になると景気の低迷か 
さすがに売り上げが落ちてきました、

やがて4年が過ぎました、その年の暮れ 道の駅の会が
ありました、
そして 道の駅でネット販売を始めるとの話がありました、
4年前 店の終了とともに終了したホームページをもう一度
やって見ようかと思いたったのです、
ソフトを買ってきて昔に戻り 再度パソコンに挑戦しました、
2ヶ月かかってやっとホームページを作って道の駅からの
リンクを張ってもらいました、
そして今年 園芸相談を始めました、電話番号とHPの
アドレスを入れたカードを誰でももらってくれるように置いて
あります、
そのため電話が良くかかってくるようになりました、
私も買ってもらった花や植木などについて喜んでもらいたいし
客との対話が出来ることでよかったと思っています、
また5年目に入ったある日 道の駅に 似顔絵 を書く人が
来ていたのです
以前から欲しかったので早速書いてもらい これをPCに入れて
カードに取り込みました、写真と違って ユーモアがあります、
お客さんにカードを渡すと あははは、、似顔絵がはいってる、、
と言ってもらってくれます、

なぜ似顔絵や写真を入れるかといいますと 30代から約30年
徳島県南や高知県東部を含めて売り出しをしたため 何万人も
の人とのつながりがあるのです、
写真を見て ああ あの花屋さん、元気でいたのですね
道の駅にいても良く声をかけてくれます、
どこで逢った人か思い出せない人も多いのですが顔は覚えて
います、
言葉使いでどこで逢った人か おおよその見当は付きますが 
申し訳ない限りです、
お元気ですか?、みんな待ってますよ、また来てくださいね、
行きたいけど行けないのですよ との言葉も心の中で
つぶやいて ハイ また行きますね、、、、 
そんなわけで道の駅も私にとって大切なものになりました、
私もまだ(?)66歳
 いつまでも体力の続く限り頑張って
行きたいと思っています、










元のページへ戻る

私の回想録

第44回  道の駅 日和佐