私の回想録
    第24回    無線再開
私は町で時間さえあればホームセンターか

電気屋か本屋へ寄ります、 


ある時本屋でこんな本を見つけました、

50代になすべきこと と言う本でした,

当時私も50歳になっていたのです、

それにはこうしたことが書かれていました、

人は50代には仕事も趣味も仕上げをしなけれ

ばいけないと
言うことでした、                                          私のカードです
                                                 
考えてみると仕事は何とか生活にことかかないし

少しずつ整理もしていたのですが、それでは趣味はと言うとし忙しさに

紛れてしばらく
遠のいていたのでした、

はたして私の趣味と言えば楽器と無線くらいなもの、子供達にも手が

かからなくなったし何かを始めてみようと言うことになりまず
最初に 

昔に帰ってギターを始めたのです、
最近カラオケも盛んになり私も時々参加するのですがこれをギター

弾き語りが出来ないものかとギターを買ってきてだいぶ練習して
みた

のですがこれは成功しませんでした、
それと共にアマチュア無線も始めたのです、設備はありましたから

単に始められました、
もう年でもあるし英語も分からないし国内の方と

楽しく交信できれば
いいと言う考えでいろんな方と交信を楽しんでいた

のでした、
そんなある日 韓国の局が出ていたのです、それを何気なく呼んでし

まったのでした、するとすぐにコールバックがあり はっとしたときに


すでに遅かったのです、
しかし昔の定型文で何とか無事交信が終了し

たのです、
すると忘れかけていた好奇心が再びうずいてきたのでした、
その年私の村ではテレビの共同アンテナの話が持ち上がりました
それは山間地域のため限られたテレビしか映らなかったものですから

共同アンテナにしようと言うことになりました、
当然私が世話人になりその夏 完成したのです、

その工事をしてもらったのが 忘れもしません 30歳のとき借金に追

われて泣きながらランを売りに行ったとき 最初に買ってくれた電気屋

さんでした、

それまで私も個人
で山へアンテナを上げていたものですから

その線が不要になったの
です、
其処でこの同軸線を利用して無線のアンテナを作ることを考え

無線
ショップや先輩に相談したのですが 秋山さんそりゃ無理だ 

第一
300mも引けば減衰がひどくて使い物にならない、、、、
なるほど線の減衰率を計算しても無理もないのである、
しかし私はどうしても納得できなかったのです、それはもちろん

ブース
ターは入れていましたがブースターをはずしてもテレビが

充分見えて
いたのです、
テレビの電波からすればアマチュア無線の電波は周波数が

低いだけ
減衰が少ないはずである
そしてその夏簡単な21MHZのアンテナを上げました、しかし全く

反応
がありませんでした、やはり駄目かと半ばあきらめていたの

ですが
1ヶ月後の9月アジアDXコンテストで今まで全く出なかった

ヨーロッ
パのポーランドとルーマニアが続いて取れたのです、
さらに10月のWW(ワールドワイド)コンテストでは海外局70局

との
交信が成立したのです、やがて世界6大陸もクリアーする

ことが出来ました。
ラジオ少年時代の夢が50の年になり実現したのです、
私は年がいもなく夢中になったのでした、国内と違って日本が

夕方
でもヨーロッパになるとグッドモーニングになるのです、

11月のある
日うっかりこちらは今日は寒く0度です、と言うと

ロシアの局はこちら
シベリア(英語ではサイビリアと言うのです

が)はマイナス15度だ
と言われる
そして南半球のオーストラリアになると冬でも毎日30度を超

える日が続い
て大変だ、と反応さまざまである、
春のある日も CQDX(海外局コール)をしていると南米の

パラグアイ
から日本語で呼んでくれました、
ナガイアイダ ニホンガデマセンデシタ トテモウレシイデス

そして
カードにもいろんなメッセージが書かれてありました、
ある時イタリアから手紙がきました、封を開くと何かパラッと落

ちまし
た、見ると1ドル紙幣が入っていたのです、
あなたのカードを郵便で送って下さいと言う文面でした、
フイリピンからも私はアメリカ海軍の軍人でしたが今フィリピ

の女性と結婚して農場を経営してマンゴーの栽培をしています、

と言う手紙が届きました。
又中国の女子大生からも日本語で 秋山先生と言って何度も

手紙
をくれたこともありました、いつか日本に来てその時は

私の家にも
寄ってくださいと言うことを伝えました、
又ベトナム沖のクイーンエリザベス号からと言うことでイギリス

の人
とも交信し船の写真のカードが送られてきたのです、
他にもいろんなエピソードがありました
写真は私の娘です、このカードも1500枚以上海外へ行きました
1冊の本で私の人生が大きく変わりました、
この本に出会えなければ仕事一途に進んでいたでしょう、
私は壁に当たると本屋へ行きます、
又何かを始めるときまず本を読むのです本のおかげで私の

人生
もずいぶん変ったように思います、
私の愛車 アルミバンのトラックにはいつも何冊かの本が

乗って
います、

 

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