私の回想録
第38回  日曜市の思い出
あー 、今日のサボテンきれい

じゃない

先週買ったのよりずっといいし値段

だっ
て変わらないじゃない、一週間

待てば良かった、


それじゃ先週の持って来たら

替えて
あげますよ、

えー、ほんとに? いいん
ですか?
すみませんねー、また買うからねー、 

お客さんは喜んで帰って行くの
でした、

返してきたサボテン並べておくとまた後から来た人が買って
行きます、
花屋さんその ボケの花下さい、  ボケはそんなに要らないんじゃな

いの?  背中をどーんとたたいて それでも買って行くのである、


売っている花はきれいですが 私なんか管理が下手なので すぐ 

おかしくなってしまうのですよ、花がかわいそうでね、、、

そりゃ 花だって 女房だって同じですよ、買ったとき もらったとき


が 一番きれいなのですよ、なるほど それもそうですね、

また 高齢者の方 みかん苗を植えても 年が足りないです、

生きているうちに成りそうにないですからね、、、、

しかし 植えておいたら 子供達が 死んだ爺さん植えたみかん よく

成り出したと 線香の1本も立ててくれますよ、

なるほど それもそうですね、、、、それじゃ買って行きますか、、

そんな調子で日曜市が始まるのです、
朝5時半 冬ですとまだ夜が明けていません、それでも少しでもいいも

のを買おうと寒い日も暑い日も朝早くから大
勢のお客さんがやってくる

のです、
ここは徳島県南の県境を越えて最初にある町、美しい白浜海岸と

ーフィンのメッカ高知県安芸郡東洋町の日曜市です、
私が 日曜市に加わったのは36年前 31歳のときでした、
最初はあまり売れませんでしたがだんだんと花の客も増えしだいに

売り上げも伸びてきたのです、
小さな町ですが阪神からのフエリーの発着港もあり県外からの客もあ

りました、 何よりも私にとって当時毎週店が出せることが大変
ありがたかったのです、
翌年 日曜市組合でアーケードを作る話になりました、その頃私は

だ正会員ではなかったのですが尻上がりの売り上げを考えて
無理を

して十数万円の投資をして正会員となったのです、
アーケードを作ったことにより雨の日でもお客さんは安心して買い物

できるようになり私たちも仕入れがしやすくなったのです、
一口に26年と言っても1世代の交代の年月 その間さまざまなことが

ありました、
最初のうちは私の事を兄さん と呼んでくれていましたがこのごろで

兄さんなんてことは80歳くらいのおばあさんがたまにいってくれる
くれ

る位で誰もいってくれなくなりました、
家から約40分 4時半くらいに起きて5時くらいに出かけるのです、

変ですが、しかしそれで 少しでも家計が潤ことを思い喜んで
かけて

行ったものでした、
私は日曜日にほとんど休んだことがありません、
お客さんも花を楽しみに来てくださる方も大勢いました
ある おじいさんの話なのですが毎週花を楽しみに来てくれる人が

ました、 

来とるかね 今日はなにを買おうか、 
雨が降っても毎週必ずやってき

て3千〜4千円位の花を買っていっ
てくれるのです、
しかし年月と共にやがて車椅子でやってくるようになりました、
家では床についているそうですが 家族の話では おい 今日は何

日だ? と枕元へ花を置き 日曜市を指折り数えて待っているのでし

た、 
やがてそのおじいさんもとうとう来なくなりました、そんな人達に

ささえら
れて私も現在までやってくることが出来ました、
ほとんどの人が顔なじみになり花を買わなくても挨拶してくれるのです
おはよう、  今日はいい花があるね、前に買った花 きれいに咲いて

いるよ、 今日はこの花を買って行こうか、
私も出来るだけ喜んでもらえるような花にと 努力したのでした、
この花家まで配達してくれない?、今日は荷物が多くて持って帰れな

のよ、

ああいいよ 帰りになるけどそれで良かったら、  
持って行くと すみ

ませんねと喜んでジュースをくれたり御菓子をくれた
りするのです、
そして時々 飲み仲間もやってくるのです、誰からともなく酒やビール

を持ち寄って来て私の場所の横が宴会場となるのでした、
飲み仲間も また臨時で出店してくださる方も時代と共にずいぶん入

れ替わりましたがそれでも日曜市は続いたのでした、
又最初大変大きな負担だったアーケードも日曜市の発展に大きくプラ

になったのでした、
年月と共に出店者の人達も高齢化してきましたがそれでも朝早くから

元気な声が聞こえていました、

しかし年月と共に30年以上続いた日曜市もとうとう時代の波と共に

終了し 懐かしい思い出となりました、
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