私の回想録
   第33回  ノーパン喫茶の思い出
 20歳代後半だったと思いますが 青年農業者会議と言う組織がありました、 
 町内の農業青年が集まり情報の交換や研究会 などを行う為時々集って

 いたのです、

農業でも町内には菊作り、イチゴ栽培、
酪農、施設野菜、花作り、といろんな

業種がありました、
 そして時々先進地視察なども行っていました、
 
その時は日帰りで香川県の農業試験場へ行くことになりました、
 団体バスで20数名が参加して試験場を見学し もう1ヶ所へも寄り帰りは

宴会気分で徳島まで帰ってきたのです、
 するとその中の1人が そう言えばこの近くにノーパン喫茶ができていた

なあ、と言い出したのです、
その頃ノーパン喫茶がはやり出してあちこちに店が出来初めて

たのでした、

 そうだなーまだ時間も早いし だいいちあまり早く帰る
と仕事をしなけりゃ

ならないし、話の種に寄ってゆくか、と言うことに
なりバスをUターンして引き

返したのでした、
バスの前のカードを裏返しにして一同其処へ入ったのです、
 20数名が入ったものですから店も急に活気が増しウェイトレスの女の子も

喜んでサービスしてくれました、
 フィリピンの娘さんがほとんどで皆それぞれに盛り上がりその国の言葉も

少し教えてもらって帰って来たのでした、
 大事なことは余り覚えないのですがそんなことは意外と忘れないのです、

 そしてそれが一時流行語になりました、
 
しかし考えてみるとこの会の費用はほとんど町からの補助金でまかなわ

れているのです、その時私が会長でした、
町長に聞こえて行くとどうもつごうが悪いのです、
補助金打ち切りなどになれば大変であるし私も大分心配しました、
 しかしそんなことお構いなしに皆おもしろおかしく言いふらすものですから

当然町長にも伝わっていったのでした、
 
しかし町長曰く 今度行くときには私もいっしょに連れて行って下さいよ、 

と言うことでした、

   

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