私の回想録
第8回  パイナップル栽培
5年生のとき兄が亡くなり、農家の我が家は

私が継ぐ
ことになり農業高校へと進んで

行きました、
私も別に抵抗も無く、都会へ行きたいことも

なかったし
自然とそうなりました、
農業にはあまり関心もなかったのですが、

いざ高校へ
行って見て、村の農業しか知らなかった私は高校の

農作
物のすばらしさにびっくりしたのです。
メロン、トマト、花、ランなど実に良く出来ているのです、

うわーすごい 、私は感心してこのときから農業に対する考え方が大きく

変わったのでした、
そして学校では生徒に対して何か1つのホームプロゼクト

を持つように義務ずけられていたのです、
それは家で何かの研究をして3年の卒業論文の代わりに発表をしなくては

なりません、

其処で考えたのですが、その頃近くの農業試験場でパイナップルの栽培を

農家の人に試験栽培をするよう勧めて
いたのでした、
当時パイナップルは高級品でなかなか買えるものではありませんでした、  

 これはおもしろい、
と言うことで早速これを始めることにしたのでした、

夏休みに30坪の畑を準備をして 苗が1本50円で300本を植えたのです、
しかし何でも変ったことをすることは楽しいもので毎日のように畑へ見に

行ったものでした、
やがて寒くなるとハウスを建てなければなりませんが

当時
は現在のようなパイプハウスなどありませんでした、
家族の人たちに手伝ってもらって山で竹を切って来てこれで30坪のハウス

を作ったのです、
それにビニールを掛けその中に2重のトンネルを作りそれ

にもビニールを掛け、祖母に こも を編んでもらつて保温
に努めました、
暖房機などもありませんでしたがパインは強いのでこれで充分冬越しが

出来たのです、

春が来てだんだんと暖かくなるに連れてパインの株は
大きくなって行き

ました、   パインは株の芯に土が入る
と腐敗しますから水をやるとき勢い

よく洗い流すのです、
やがて夏が過ぎ秋になると見違えるように大きな株

になり
ました、

其処で花芽分化のためカーバイト処理をするのですが、ガス燈に使う

カーバイトを水に溶かしこの液を株の芯に
流し込むのです、理由は分かりま

せんがこれによってパイ
ンの花芽が出来て次の年の春きれいな花芽が

出てきた
のです、
それがだんだんと大きくなりその年(3年生)の秋には初めてパイナップルの

収穫となりました、
私にとって本当にうれしいものでした、
収穫の喜びと言うよりも1つの事を成し遂げたことに大きな自信を得たのです、
最初の実は仏壇に供え(多分先祖も喜んでくれたと思いますが) 始めて家族

で試食をしました、
少し酸味がありましたが自分で作ったパインの味は

忘れが
たいものでした、

商品価値のない品もありましたが良いものを町の果物屋さんに買ってもらった

のでした、
1個250〜300円で買ってくれたのです、その当時はそんなものか

なーと思っていたのですが今に思うとすごい高値
で買ってくれたのでした、
今でもパイン1個300円くらいですが当時は1日の日当が300〜400円の時代

だったのです、

やがて3学期がやってきました、
プロゼクト発表に当然私はこれをテーマに行いました、
40人ほどの発表の中で私は2位になることが出来ました、
高校時代の懐かしい思い出です、

 

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