第10回 ラジオ少年時代、中学校へ入ると正規の授業の中にクラブ活動と言う科目がありましたその中に科学クラブと言うのがあり私はそれに入りました、主に電気関係に付いて先輩が教えてくれるのです、特にラジオに付いていろんな配線記号を習い 好奇心がうずいてきた
のでした、そしてその年(中1)の冬休みに始めてラジオを作ることに
なりました、
と言っても真空管一つでも350円もするのです、当時は鉛筆が5円
ノートが10円 労働者の1日の賃金が300円の時代でした、
トランス,コンデンサー、抵抗、スピーカー、どれ一つとっても高価な物
ばかりでした、しかしどうしてもやりたい一念から両親に無理矢理頼み込んでどうに
か4球高一と言うラジオを作りました、配線図を見ながら苦労の末やっと出来で来たのです、しかし最初は ものを言いませんでした、何度も何度も配線の点検を繰り返しやっとの事で少し言うようになった
ときは思わずヤッターと叫んだものでした、
そのラジオで当時の流行歌を良く聞いたものです、しかし私の性格としてそれで満足しませんでした、と言っても新しく次の品を買うだけのお金がありません其処でこれを分解して少し部品を買い足してさらに違った物を
作るのです、少しこずかいをもらうと帰りの汽車を一つ遅らして町の電気屋
さんへ走るのですが これが一番の楽しみでした、部品がそろうと土曜日に準備をしておきその夜は計画を練り、
日曜日は朝から火鉢に炭火を入れてもらいひなたの縁側に
むしろを敷いて制作にかかるのです、当時石油ストーブなど
ありませんでした、だが火鉢の火 等に当たる暇などありません、夢中で鼻をすすりながら昼食の時間も惜しんで夕方4時頃ようやく
完成なのです、其処でやっと一息ついてトイレに行きそれからテスト
を始めます、うまく行けばいいのですがなかなかうまく行きません、出来ないときには泣きかけになりながら夜遅くまで頑張ったものでしたアンプからステレオ、無線機、等色々作りました、その頃からでした、村の人たちがラジオの修理を頼んでくるようになっ
たのです、学校から帰ると時々風呂敷に包んだラジオを置いてあるのです、早速広げてまず電源を入れて見ます、昔のラジオは意外と簡単でした、真空管の良否を確認して次に整流回路の点検なのですドライバーひとつあればテスターが無くても ショートさせてみて
火花が散れば整流回路はOKです、さらに回路をつぎつぎに
スピーカーに近い低周波部からアンテナに近い高周波部へと
ドライバーでつついて行くのです、
触るとスピーカーから カリッ カリッと言う音がします、その音
がしない所が故障個所なのです、私は部品代だけで修理をしてあげました、すると 御菓子をくれたり こずかいをくれたりするのです、しかし喜んでくれることが何よりうれしいものでした、ある おばあさんなど 子供だから頼りないと思ったのか修理に持ってきておいて 壊さんといてよと言うのである、
壊れたから修理に持ってきておいてけしからんことを言うの
である、しかし直ると安心して喜んで持って帰るのでした、
それは 私が成人する頃まで続きました、やがてラジオの時代が過ぎてテレビに変わって行き私のラジオ
少年時代も終わったのでした、
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