私の回想録

第16回  行商時代

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家では今年も観光洋ラン園を年明けから開園して客も少しずつ
増えて行きました、
そこで考えたのですが ランとともに花も売ってはどうだろうか?
と思い立ったのです、
そこでいろいろ調べてみると徳島には花の卸屋が数軒あるとの
ことで早速そこへ出向いてみたのです、
何も知らなかった私にとってすべてが目新しく 数十種の花が
温室いっぱいに並べられており期待に胸を弾ませて買い求め
たのです、

花もラン以上に売れました、やがてランの花期が終わると今度
は花に変えて各地を回り車も750kに替えて商売に全力を投入
したのです、
生産と販売することは全く異なった仕事ですが当時の私達の
経営にとって現金収入は何よりもありがたいものでした、
やがてその年も暮れました、

そして翌年から
もう一度考えなおしてみたのです、
私達の家庭には毎日たくさんの折込広告が入ってきます、
そこで私もこれを利用することにしたのです、
町のスーパーやの店頭や空き地を借りて花をいっぱいに広げ
て大きな町は2日 小さな町は1日と 売り出しをするのです、
また季節の良いときには植木屋さんも呼んで 花と植木の園芸
市 と言うことで折込広告を入れ経費も折半したのです、
花の商売をしているのはもちろん私だけではありません
しかし こうすることにより趣味家やなじみの客もよく来てくれる
ようになり だんだんと自分のシェアを拡大して行ったのです、




1週間のうち仕入れの日以外はほとんど売りに出ました
夜8時か9時に帰ってきて 夕食後花の積み足しをして翌日
また7時から出かけて行くのです、
忙しい毎日ですがお金が儲かることは何よりもありがたく 疲れ
も全くありませんでした、
露天の市、植木市、産業際、商工際、そして徳島市の1番の
繁華街 東新町でも1週間売り出しをしました、
よく売れました、盆も正月もありません、また8時間労働など夢
の夢でしたが やりがいのある時代でした、

また西高東低と天気予報ではありませんが 西へ行くほどよく
売れたのです、
徳島県南端の宍喰町から長いトンネルを抜け東洋町に入ると
40km先の室戸岬が一望できます、美しい海岸線が続き 秋
になるとススキが銀色に輝き天気の良い夜にはイカ釣りの漁り
灯が延々数十キロ沖に並ぶのです、
ここを通るときいつしか疲れも忘れたものでした、
水平線まで雲ひとつない日が年に何度かあります、
そんな時 室戸の西側では水平線に夕日が沈む光景が見られ
るのです、
1日の疲れを反映したかのようにしずくが落ちるように
夕日が
沈んで行きます、
遠い昔の北海道の夕日が重なるのでした、

また商売をすることによって いろんな人との対話があるのです
若い人 老人 サラリーマン 職人、主婦と年間数万人の人と
話をすることにより私にとってすばらしい勉強になったのです、
やがて3年が過ぎました、
悲願の600万円の借金を全部返すことが出来たのです、
 私が33歳のときでした、


第3の案はランを売りに行って
みることでした、
翌年の年明けから 咲き始めた
ランを軽トラックに幌のついた
車にいっぱい積んで出かけたの
です、
しかし生産ばかりで育って来た
私にとって実に勇気の要る仕事
でした、
何とか隣町まで来ましたが ラン
を買ってください と言うことが
言えなくてさらに隣の町まで来て
しまったのです、

このとき2〜3人断られたら再起不能になっていたでしょう、
さらに 何度も出かけて行くようになりました、
当時 大型シンビの花は珍しく 車のランも帰る頃にはほとんど
なくなっていました、
場所も近くの町から西へ西へ、さらに高知県へも入り片道80km
も離れた室戸市まで足を伸ばすようになっていました、
それとともにランもよく売れたのです、

すると喜んですぐに1鉢買ってくれたのです、張り詰めた気持ち
が少し楽になりさらに次の人も買ってくれ 私の思いとはうらはら
に意外とよく売れたのです、

しかしそのまま帰るわけには行き
ません、
そこで思い切って崖から飛び降り
た思いで見かけた人に声をかけて
みたのです、