私の回想録
第13回   ああ上野駅
ああ上野駅 と言っても上野駅へ行った時の話ではありません、 私が

20歳の頃 村には青年団がありま
した、
そしておまえ団長をしろ と言う先輩の命令で仕方なく引き受けたので

した、
その頃私たちの村の全戸(120戸)にその年の秋に電話が開通する

ことになったのです、
完成の暁には祝賀会が当然行われます、
青年団も何かをしなければならなくなりました、
其処で考えたのですが高校時代から思っていたバンドをやろうと思

付いたのです、
27歳で他界した兄の形見のギターがあり少しは弾けるようにはなって

いましたが人前で演奏できるような
腕ではありませんでした、しかしま

だ半年の準備期間
があります、其処でメンバーを集め学生にも頼んで

名でスタートしたのです、

ドラム、リードギター、サイドギター、トロンボーン、アコ
ーディオン、トラ

ンペット2本と何とかメンバーは出来
たのですが最初はとても音楽に

はなりませんでした、
その時私はアコーデイオンを担当しました、
と言ってもそれを買うお金を作るのには大変苦労したのです、当時 

酪農をしていたのですがそんな余裕な
どありません,其処で山仕事に

半日ずつ2ヶ月近く通い
ようやく支払いが出来たのでした、
楽器も小学校の先生にお願いして学校の備品と言うことで購入したの

です、

そうすると免税価格でだいぶ安
く買えるのです、
小学校の校長先生も練習のときいつも来てくれ大変協力してくれたの

でした、
そして最初に始めた曲が 井沢八郎のヒット曲 ああ上野駅だ

ったのです、
どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の懐かしさ、上野は、、

今でも一番好きな唄です、
当時は中学校でも2クラスあり進学組 就

職組と分かれ
ていて学年の半数が中卒後 集団就職で都会へ出て行

ったのでした、
就職列車に 揺られて着いた 遠いあの夜を思い出す、上野は、、

そんな時代を反映した哀調帯びたすばらしい
曲でした、何度も何度も

繰り返し練習するのですが な
かなかうまく行かないのです、

しかし皆始めての事で意欲的
に取り組んでくれました、
古い公民館で酒も飲みながら必死で頑張ったのでした、
その頃の唄と言えば 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦 の全盛期の時代

でした、
失敗ばかりの連続でしたが 最初の1曲が出来ると後は案外スムーズ

に行きました、
やがて電話も開通して祝賀会まであとわずかになりましたがここで問

題が出てきたのです、
それは歌手なのです、今の時代であれば誰でも喜んで
志願してでも出てくれるのですが 当時はなかなか出てくれなかった

のでした、それでもやっとの思いで町の人に
まで頼んで何とか7〜8人

出来たのです、
やがて祝賀会の日が来ました、式典も済み演芸会もおこなわれて最

後に私たちの出番となったのです、
歌う人も 私たちもそれは緊張しま

した、何しろ始めての
ことなので見る人達も真剣でした、
皆の見守る中 舟木一夫の ああ青春の胸の血は の曲で開幕した

のでした、

そして次つぎと’7〜8曲 間違いだら
けでしたが何とか演奏して最後

に歌手全員で村田英雄
の曲、皆の衆 を唄ってようやく幕が下りたの

でした、


会場割れんばかりの拍手になりました、
やがて客は帰り始めました、しかし私たち一同張り詰めた気が抜けた

のか、肩の荷がおりたのか、放心状態のように
無言でしばらくは其処

を動きませんでした、


半年間の皆の努力は本当にすばらしいものでした、
それから数年は祭りその他の行事に演奏をしました、
今でもカラオケに行くと  ああ上野駅 を時々唄うのですが昔の映像

が出てくると思わず懐かしさがよみがえって
来ます、

 

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