私の回想録
   第20回   洋ランの高冷地栽倍

順調に思われていた洋ラン栽培も

そうは行きませんでした、


栽培農家がだんだんと増えてきたのです、

それと共に花の価格が反比例して値段も

次第に下がって来た
のでした、
売り上げが少しでも下がると農業

と言うの大きく収入に
影響してくるのです、

商売ですと売り上げが減れば仕入れ
を少なく出来るのですが生産者はそうは行き

ません 売り
上げが多くても少くても必要経費はほとんど変わらないのでした、
その頃洋ランの山上げ栽培と言うことが言われ始めたのです、それは夏の間 

高冷地へ ランを移動して栽培
をするのです、夏の間涼しい所で管理することに

より
開花が促進されると言うことが実証されたのです、

1〜2月に咲く花が年末に咲くと値段が大きく違うのです、
私も仲間入りをしました、那賀郡上那賀町の海抜700mの高冷地で5〜6人が

田んぼを借り栽培場を作った
のです、間伐材とL型鋼を利用して1ヶ月かかり建

設し
てランの鉢を運んだのでした、
この地には昔は十数軒の家があったのですが今は2戸となり2組の年配の夫婦

だけが生活していました、
高冷地と言っても昼はやはり暑いのですが朝晩は涼しく雨でも降ると霧がかかり

とても涼しいのです、
200m位ホースを引き谷川の上流から水を引くと1インチのホースいつぱいに

水が噴き出し、実に気持ちがいい
もので水遣りと手入れに行くのが一番の楽し

みでした、


そして其処で珍しいものに出会ったのでした、
   子供の頃どこの田んぼでもよく見かけたイナゴがいたのです、  
もうすでに絶滅していたのかと思っていたのですがなんとなくなつかしさがよみ

がえってきました、
   又ここでは彼岸花が8月中旬に咲き始めるのです、明るい日差しと風の音,

  鳥のさえずり 以外は何も聞こえてきません
   遠くにかすかに日和佐のテレビの中継局のアンテナが霞んで見えます,

      ここへ来るといつしか時間が止まっ
たような気がしたものでした、
ランの運搬は大変な労力でしたがその年はまずまずの売り上げが   
  
ありました、
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