第6章
そもそも、ベーマガは、数あるプログラム投稿誌の中でも、もっとも初心者向けの
雑誌であった。さらに、一ヶ月に50本というものすごい量が載っていることも
あり、一本あたりのページ数も限られていたため、マシン語を駆使したような
大作は、ほとんどなかったと言ってよい。
(一応、ランダムコーナーと呼ばれるコーナーでフォローはしていたようだが。)
そのため、必然的に、「アイデアで勝負!」という流れになっていったのであろう。
この思想は、プログラムコーナーだけに留まらない。スーパーソフトコーナーでも同様だった。
その先駆けとなったコーナーが、
「Video Game Graffiti」である。
私は、このコーナーに多大な影響を受けた。このコーナーでは、「やられパターンの分類」
「ゲームタイトル論」「ステージの呼称研究」「アルカノイドは名作か否か?」
「エンディングの存在意義とは」「ナムコ再盛期は来るか?」といった、非常に興味深い
テーマの数々が扱われ、それに対して、読者の間で熱い議論がたたかわされていた。
私はこのコーナーに傾倒し、
「ゲームは、学問だ!」という哲学を持つに至る。
芸術といいかえてもよい。とにかく、ゲームというものが、本気で論じる価値のある
ものであるという考えは、当時はまだまだマイナーであった。
その時代に、このようなコーナーが存在したというのは、さすが
Challenge High Score担当者・見城こうじの面目躍如といったところ
であろうか。
さらに、88年4月号では、山下章氏の新連載
「ホンキでPlayホンネでReview!」
がスタート。これは一つのゲームを徹底的に掘り下げ、その特徴や背景、存在意義を
論じていくものであった。そして、89年1月には、読者投稿でゲームを語る
「読者の意見・ホンキでPlayホンネでReview」
が開始し、「ゲームを論じる」
という流れは、いよいよメジャーなものになっていくのであった。
ここでも「グラフィックや技術ばかりを重視する今のゲームはおかしい」という意見は
多く述べられた。また、「ゲーム性とは何か?」「TRPGとCRPGの違い」
「社会のゲームに対する偏見」など、VGGのマニアックさに比べて、
より幅広いテーマが扱われていた。
89年7月号では、VGGの終了に伴う見城こうじ氏の新連載
「激論!ビデオゲーム」が
始まった。このコーナーでのゲーム分析はVGGの頃よりもさらに深く、
「スコアの存在意義」「ループゲームとエンディングゲーム」「永久プレイ防止策」
「スクロール分類」「二人同時プレイ研究」「ミス時にもどす?もどさない?」
など、ゲームデザインにおいて「なるほど!」と思わせる数々の分析がなされていた。
また、バブルボブルやヴォルフィード、サイバリオンの作者、MTJ氏との対談でも、
数々の興味深い意見を読むことができた。
「ゲームは、アイデアだ!」
これは、ベーマガ全体の根底に流れる思想である。
もともとは「全国に散らばるオールド・ゲームを指名手配せよ!」というコーナーだったの
だが、しだいに担当者の見城こうじ氏の嗜好が炸裂するコーナーへと変貌を遂げていく。
その主旨は、一言でいえば、
「今のハデハデさだけを追求したゲームの方向性は
間違っている!独創性に溢れた昔のゲームを見直そう!」
ということになるだろうか。
残念ながら90年6月号で連載終了してしまったが、私の
「ベーマガ・心のベスト10」
では1、2を争う名コーナーであった。