なぜ駄ジャレは面白いのか?

以前、何かの本で、「ギャグの面白さは、予想を裏切られたときに起きる。」 というようなことを読んだことがあります。例えば、 「霊もミステリーサークルも、プラズマで説明できる」というところを、 「霊もミステリーサークルも、プラグマで説明できる」となると、 「何でプラグマやねん」という笑いが起きるわけです。

しかし、「布団が吹っとんだ」とか、「カレーはかれー」 とか「Closure変換は並の苦労じゃー変換できないんだ」といった 駄ジャレは、これとは違うタイプと思われます。「本をやぶっく」とかも同様です。 実際、「プラグマ」と「Closure変換」では、同じ「笑い」でも ちょっと違うのではないでしょうか。「プラグマ」のほうは、「プラグマ」といった 瞬間に爆発的な笑いが起こりますが、「Closure変換」のほうは、あとから じわじわと効いてくる面白さという感じです。

つまり、「カレーはかれー」タイプの駄ジャレは、ギャグの爆発力としては やや劣るのではないかということです。このタイプの駄ジャレは、 本来すでに発話されたはずの「カレー」が再び聞こえたという 形で予想を裏切っていますが、その効果による「笑い」は少ないといえます。 「棉菓子を渡したのは確か私か?」くらいになれば結構面白くなりますが、 これも、本来2ヶ所でしか呼応しない駄ジャレが、異常なまでの数の個所で 呼応しているという形の意外性、特殊性を笑っているものと思われます。 むしろ、「うまいこと作ったなあ」という、作品として観賞する意味合い、 つまり、Interestingという意味での「面白さ」があるということです。

このページも、「ショートエッセイ」とかいいながら30000バイトくらいあれば 「どこがショートやねん」という笑いが起きるところですが、 ネタが尽きたのでこのへんで終了します。


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