「はるみのプログラミング・レッスン」を何度となく読み、すでに
BASICの大部分はマスターしていたが、まだわからないところが
一ヶ所だけあった。それが「配列変数」である。
いま考えると、何が難しかったのか考えるほうが難しいが、やはり
変数という概念もそれほど完璧に理解していたわけではなかった状態で、
「変数の名前にさらに数字が代入される」という複雑な抽象的概念が
馴染みにくかったのかもしれない。
「ここはBASICで『いちばん!』難しいところだから、
カンタンにあきらめちゃダメ!」(たしかこんな感じだったと思う。)
と書かれていたところを見ると、高橋はるみもきっとここで詰まったのだろう。
とにかく何度も読み返して、少しずつ理解していった。
そしてある日、突然「わかった!!」となったのであった。
それは「スペース・ストラクツ」のプログラムを読んでいる最中であった。
それまで、プログラム中の配列の添字を間違えて読んでいたことに気付いたのだ。
ついにわかった。これでBASICはすべてマスターしたのだ( 「プログラミング・レッスン」にはそう書いてあった)。 それは別にしても、「複数のキャラクターを動かせる」ようになったことは、 ゲーム作りにおいては大きな進歩であった。私は、その日から、「 SPARD 」「 バクダン 」など、「複数キャラを動かすゲーム」を 怒涛のように作りだしたのであった。
この頃(小学3〜4年頃)に作ったゲームは、もちろん他にもいろいろあった。
「ALIEN」はスペース・アタック
(ゲームセンターあらしで紹介されていた)に影響されて作ったゲームである。
日曜日の、レッドソックスの練習が終わったあとに作ったのを覚えている。
「ソウコバン」は、 ある有名なゲームに影響を受けて作ったゲームである。 学校でプログラムを紙に書き、 はやる気持ちを押さえながら家に帰って打ち込んだことを覚えている。 このゲームは、エディットモードがついていることが特徴である。 といっても、カーソルが全く見えないなど めちゃくちゃ使いにくいのだが、まあ壁とか出してみれば位置など分かるし、 放っておいた。また、エディットした画面でプレイするとき、荷物の位置を 覚えておいてやり直しができるようにするのだが、ここで画面を全サーチして 荷物の場所を調べるなど、いろいろ面倒くさく、えらい苦労したのを覚えている。 なんか、ERASE命令まで使って(このとき初めてこの命令を知った) なんとか組み上げた。
「HATAKE」は当時の相方で、 一緒に「ニン肉マン」などの漫画を執筆していた 自称有能なゲームデザイナー・関根(仮名)氏の アイデアによるもので、画面上の人参を拾って画面外に出していくゲームで ある。人参を持っていないときはウサギに当たっても平気だが、 持っているときに当たるとゲームオーバー(ウサギに人参をとられてもアウト) となるなど、なかなかアイデア満載のゲームであった。 人参は一気に何本も持ったほうが効率的だが、ウサギに当たると全く得点に ならずそれまでの努力がパアになってしまう…など、ゲームバランスも とれていた。
「BOOL」は2人用のゲームである。 上と下にわかれて、ボールを 跳ね返しあい、10回受け損ねたら負け、というものである。 跳ね返したり画面の端で跳ね帰るとき、ボールがどの方向に飛ぶか判らない というのが最大の特徴で、せっかく跳ね返したボールが、画面端に当たった と思ったら戻ってきて受ける間もなくミス、ということもよくあって楽しい。 ボールの動きは、受け返すときは「Y方向を反転させ、X方向を 左、まっすぐ、右のどれかにランダムに」変え、画面端で跳ね帰るときは 「X方向を反転させ、Y方向を上、真横、下のどれかにランダムに」変えるのだが、 ここの処理をプログラミングするのが何故か異様に楽しかった。 そういえば結局打ち込まなかったけど、プラグザカートのような、5方向に 弾を発射する敵が出てくるゲームをプログラムしたときも、 似たようなワクワク感を覚えたことがある。どうも、こういう 変わったアルゴリズムを考えてプログラムを組むことに快感を覚えていたらしい。 あと、このゲームをデバッグしていて初めて、「変数名は最初の2文字しか 識別されない」ということを知った。
「ドライブゲーム」は 確か昼ごろ作りはじめて夕方になる前には完成していた という感じだったと思うが、そのわりには結構面白かった。迷路の中を、 自動車を操作していくゲームだが、いちど通ったところは通れなくなる。 GAME 1とGAME 2があって、GAME 1を選ぶと DEFINT A−Zが実行されて 速くなる、というしくみになっていた。