第9章

当時、パソコンというものは珍しかった。

もちろん、折からのパソコンブームで、 「パソコン教室」なるものに通う 小学生もいた時代である。全然ないというわけではなかった。が、 やはりゲームウォッチやファミコンやガンプラほどは普及していなかったのが 実状である。(どうでもいいが、クラスメートでこの 「パソコン教室」 に通っていたやつの日記を盗み見して「きょうは、10行でPRINTして…(中略) …GOTO 10というのをやりました」というのを見たときは、 「ああ、こいつ騙されてる」と思ったものだ。 そのくらいへぼい内容だった。)

そういう状態だったから、近所の電気屋には、「パソコンが使える」という だけで人が入り浸っていた(らしい。私は行ったことがない)し、 パソコンのある家で遊ぶときは、自然とパソコンで遊ぶことになっていた。 PC−6001mkIIを持つ友人の家では市販のソフト(のコピー) が大量にあり、タイニーゼビウス、マリオブラザーズスペシャル、 ポートピア連続殺人事件(ヤスが「ボス」とか「やーい、おこられた」とか しゃべる)をはじめとする様々なゲームを楽しんだ。 そして、PC−8001mkIIを持つ私の家でも、当然のように パソコンならではの数々のゲームが楽しまれたのである。当時、仲間内で パソコンを持っているのは、この2人だけだった。

といっても、パソコンを買ってもらってはじめのうちは、常に1人で 楽しんでいた。大勢でPC−8001mkIIを使ったのは、あまり仲良くない クラスメートの連中が家にやってきたときに 「ハッスル」をやらせたのが 最初だっただろうか。このときは、みんながキー操作に苦しんで0点とか 1点とかしかとれないところを、6点とってみせて尊敬された。 また、「サラトマ」は、大勢でやった憶えがある。あのような思考型ゲームが まだ少なかった時代に、あのゲームは小学生の思考欲を見たすものだった のだろう。

しかし、人気はやはり、市販のゲームよりも「I/O」などに掲載されていた ゲームであった。とくに「BON・BON」や「フルーツシスターズ」は、 これをやれば必ず盛り上がるという伝家の宝刀みたいな存在だった。

…と、このへんはP6ユーザーの友人の家の場合と変わらないが、 家のPC−8001mkIIは、それとは別の部分でも人気を博した。 それは、「俺オリジナルゲーム」の数々である。

当時、パソコンを持っている小学生も珍しかったが、自分でゲームが作れる 小学生となると、1学年に1人いるかどうかという存在であった(私が 知らないだけで、もっといたのかもしれんが)。そのため、 「自分達の知ってる奴が作ったゲーム」として私のゲームが好評を博し、 「I/O」のゲームや市販ソフトに負けず劣らずの人気を誇っていた。

といっても、なんでもかんでも受けたわけではなく、「つまらん」と言われる ゲームもあった。そんななかで、「おもしろい」と言われた人気ゲームとしては、 「ピラミッド」や「ドライブ」などがあった。が、ダントツの一番人気だったのが、 「ドラエモン」である。

これは、ある日学校から帰ってきて、とくにたいして考えもせず、 なんとなく作り初めたゲームである。夕方だか夜だったかに作りはじめて 2時間で完成したという、私のゲームの中でも最もちょろく出来てしまった作品 である。内容も単純そのもの。ドラえもんがネズミから逃げながら ドラ焼きを取っていくという、それだけのゲームである。

しかし、受けた。その秘密は、このゲームが「2人用」であったというところ であろう。楽しげな画面上で繰り広げられるコミカルな鬼ごっこは、 実際に駈け回るのと違った不思議な面白さがあった。そして、 人間同士ならではの微妙な駈け引きなども楽しめた。 このゲームは、家にあった全ゲームの中で最大のヒット作だったかもしれない。 いまだにこのゲームを憶えている友人もいる程である。


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