1921年(大正10)頃、大洲聖公会の伝道地として、同教会から松山に出張伝道が開始され、翌年玉川町(現在のラフォーレ跡地あたり)に中野忠治司祭が定住して松山講義所を設立しました。
その後、1931年に御宝町に移り、英国人宣教師リチャーズ司祭によって、松山聖アンデレ教会が設立されました。聖アンデレの名はリチャーズ司祭の英国での母教会の名から受け継ぎました。
そして、1933年に現在地に移り、1956年、現存の煉瓦造りの礼拝堂が建てられました。
この礼拝堂は松山市に現存する唯一の煉瓦造りの建物です。2001年の芸予地震で東壁が倒壊しましたが、その後修復され、2004年に大洲城の構造設計をした増田一眞氏の構造計画によって、他では類を見ない、接着剤を使っていない杉板集成によるアーチが取り付けられ、耐震補強を行いました。