潮位観測の根拠
日本地震学会発表論文
2012年度: 鈴波は南海地震特有の前兆現象
"Suzu-nami" is the peculiar phenomenon just before the Nankai earthquake.
#Fujio Nakamura (Misato Marine Hospital)
1.はじめに
四国太平洋沿岸の地震関係の古文書や石碑などに「鈴波」の言葉が残されている。 この鈴波の評価は1854年安政東海地震津波の余波で小津波であるという説が定着している。 この通説には疑問が残る。
通説が存在する背景には32時間後に起きたM8.4の安政南海地震の直前には 大規模な海面変動(後述)は起きていないという発想の上に 通説は成り立っている。
そこで鈴波の正体は何か、探ってみた。
2.昭和の鈴波について
鈴波体験者証言
証言A | 元 土佐市宇佐町 井上氏 |
昭和南海地震の前夜24時前後、
土佐市宇佐町松岡から竜(1.5km)に帰る途中の出来事である。 この夜は3人で伝馬船の櫓をこいだ。 この時、波は静かで流れもゆるやかであった。 この時、伝馬船の「サイド」を「ピチャピチャ」叩く未体験の変な波に遭遇した。 この変な波は宇佐湾全体に発生していた。 私も仕事上波の研究をしてきたが、この波は変わった波で今でもよく覚えている。 |
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証言B | 四万十市下田 山崎氏 |
昭和南海地震が起きる数時間前、伝馬船の「コベリ」を叩く変な波に出合った。 体験者はこの変な波が鈴波であると言明していた。 |
証言A・Bの共通点
- 伝馬船のサイドとコベリは同一部位である。
- 伝馬船を叩いたという表現も一致している。
- 「リン、リン」と鳴る鈴の音と、 「ピチャ、ピチャ」と伝馬船を叩く音とイメージ的に一番近い。 この波こそ、鈴波であると言える。
- 鈴波は極周期性が短いもの、潮の狂いは長期性の長いものと位置付ける。
3.鈴波発生原因
昭和南海地震の前日、午後5時頃より徳島県、高知県沿岸部にかけて大規模な退潮が発生した。 判明しているだけで、両県で17港に及ぶ。 土佐市宇佐町でも南海地震発生までの約11時間、3m前後の異常干潮が続いている。 前述の鈴波はこの時間帯と重なる。
鈴波は津波の余波のような周期性の長いものでなく、何らかの地殻変動の衝撃による微振動が伝わり 広範囲(土佐市宇佐町~四万十市下田 直線距離約68km)に海面を小刻みに揺らしたことが考えられる。
4.安政の鈴波について 古文書「真覚寺日記」より
土佐市宇佐町に安政南海地震のことを克明に記録した真覚寺日記が残されている。
日記には霜月4日朝5ツ時地震 海潮進退定まらず
「この浪を昔より俗に鈴波と申し習わせる由、汐にくるい有りて鈴波来たるは津波のさきがけなるゆえ
油断すまじき由言い伝う」と後世に教訓を残している。
上記前文の「海潮進退定まらず」は安政東海地震津波の余波と受け取れる。
しかし、「昔より」は宝永地震時の鈴波を意味している。
このことは安政南海地震時において既に各地で鈴波の名前が使われていることで読み取れる。
真覚寺住職 井上静照師は宝永地震のことも触れている。
「津波のさきがけ」は地震の前兆の意味であり「油断するな」は避難準備のことである。
井上静照師はすべての異常潮位を汐の狂いと捉え、これを鈴波と位置付けている。
従って井上静照師は鈴波(汐の狂い)を地震の前兆と捉え、
安政時代、既に南海地震予知情報を発していたことになる。
私たちはこの教訓を見逃し昭和南海地震を迎えたことになる。
5.まとめ
安政南海地震の1/4のエネルギーと言われる昭和南海地震でさえ下記のように大きな潮の狂いがあった。
- 地震4日前には各地で潮が狂い
- 地震2日前の午後2~3時には土佐市宇佐町宇津賀(写真-1)で3mの海面低下、同時に井戸枯れ
- 地震前日の早朝(12月20日)より干満時刻が1~2時間狂いがあった(2012年7月8日聞き取り)
- 地震13時間前には土佐市宇佐町井ノ尻(写真-2)では6~7糞の周期で 1m前後の海面上下変動を観測(2012年4月3日聞き取り)
- 同時に室戸市、高知市、中土佐町、黒潮町等でも潮の狂いは観測されている
- 地震11時間前から3m前後の異常干潮が発生、地震まで続いている
上記のような異常潮位は安政南海地震前にも起きている。 従って通説鈴波はすべて安政東海地震津波の余波とは限らない。
従って安政の鈴波の多くは南海地震独自のものであると判断できる。
鈴波(潮の狂い)は宝永、安政、昭和と3連続しており、
南海地震特有の前兆現象と言える。
次回の南海地震でも発生する可能性は高く、直前予知につながる前兆現象と言える。