NPO土佐錦魚の集い

 長年の夢であった高知県の天然記念物である土佐錦魚の愛好家が非営利法人「土佐錦魚の集い」として平成17年12月スタートいたしました。

 以下、NPOの内容を公開いたします。

 

設 立 趣 旨 書

 

1 趣 旨

 土佐金魚は昭和40年、柳原範夫氏より、高知県に対し、天然記念物として指定するよう第一回目の申請が出され、続いて昭和42年8月、正式に高知県保護有形文化財指定申請書が高知市東雲町1の5、野中進氏より提出され、その申請理由は以下の文面でされている。     

 土佐金魚は大阪卵虫と流金とを交配してできたものの中より、その後の改良によって固定完成させた物で、これは元、南与力町山内家家臣須賀亀太郎(故人)氏のなしたものである。 現在、須賀家に残存している金魚の絵図は弘化2年よりのもので須賀家の先代がこの魚を固定しようと相当の苦心した事が伺われるも亀太郎氏に至りようやく完成したものである。
 その頃の(弘化2年頃)魚は固定した当時より遥かに体が長く現在魚のような優美さは見られない。固定当時の魚色は黄金と黒色の2種類に過ぎなかったが、現在は黄金、黒、濃い赤、赤白、白色である。しかしこの魚も南海地震で絶滅状態となっていたが、僅かにつがいの金魚を南与力町田村広衛氏(現存)が死滅より守り現在の繁殖のもとを作ったのである

この申請書によって、土佐という地名を冠した金魚の天然記念物指定は全国初のもので,昭和44年8月8日に高知県保護有形文化財に指定されています。全国でも、又世界的にも類を見ない姿態の優美さは他の金魚の追随を許さないものであります。

誕生より160年、全国的に愛好家が増加する中で、本家の高知県が飼育者の高齢化とともに土佐錦魚そのものまで衰退して行くことを憂い、全国の土佐錦魚愛好家の有志で保存の会を立ち上げ「土佐錦魚の集い」を結成致しました。尚、天然物指定申請には「土佐金魚」でされているがその申請書以外は全て「土佐錦魚」の呼称であり、「とさきん」と呼ぶ名称で申請を行います。

上記は天然記念物認可及び土佐錦魚と呼称する経緯について述べましたが、法人を設立する事により、活動をより推進し、数少ない高知県天然記念物の土佐錦魚をとうし、その生体の展示、交換、交流をもって全国の経済波及効果及び文化の向上を目指し、公益の増進を目指す事を目的とするものであります。

2 申請に至るまでの経過

 

1 弘化2年須賀亀太郎氏によって作出

     昭和20年7月4日高知空襲、及び昭和21年12月21日南海大地震より田村広衛氏守る

 3 昭和40年第一回高知県保護有形文化財指定を申請

 4 昭和42年8月第2回高知県保護有形文化財指定を申請

 5 昭和44年8月8日高知県保護有形文化財に指定される

 6 平成14年12月特定非営利活動法人の申請を有志により検討

 7 平成15年12月特定非営利活動法人の申請書類の作成開始

 8 平成16年11月6日特定非営利活動法人の認可申請に参加者全員の合意を得、

  「土佐錦魚の集い」の特定非営利活動法人名で申請し、出発することを申しあわせ、

  理事長は能瀬健雄氏が全員一致で推挙されました

 

平成16年11月6日

 

                       特定非営利活動法人 土佐錦魚の集い 

                           設立代表者 住所又は居所  高知県高知市宝永町9番13号

 

                                  氏    名   能 瀬 健 雄    印

平成17年11月4日19:00

高知市菜園場吾平においてNPO法人土佐錦魚の集い会員の総会を開催
参加者
能瀬健雄   那珂川博   山内孝明   小川英樹   辻 正剛   泉 憲明   吉田利明   森 信彦   田中   藤原

平成18年11月4日
高知市菜園場吾平においてNPO法人土佐錦魚の集い会員の総会を開催
平成18年11月5日
高知城追手門において土佐錦魚の集いと交換会を開催
平成19年11月3日
高知市菜園場吾平においてNPO法人土佐錦魚の集い会員の総会を開催
平成19年11月4日
高知城追手門において土佐錦魚の集いと交換会を開催
平成20年11月1日
高知市菜園場吾平においてNPO法人土佐錦魚の集い会員の総会を開催
平成20年11月2日
高知城追手門において土佐錦魚の集いと交換会を開催