7月30日 (日) 山の道案内をして下さるNさんが、自宅のキレンゲショウマが咲き始めたということで見せていただく。母の出里の近くのようなので母にNさん宅までの道順を聞くと、母の実家のすぐ近くだった。で、母も行ってみようかとのことで、父兄同伴で訪問させていただく。Nさん宅はログハウスで、以前TVの建築番組で紹介されていたが、私は実物を初めて見る。5・6年前の放映ということだから私は長い間祖母のお墓参りに来てなかったことになる。ごめんよ、ばあちゃん・・・。
Nさんと話してたら、私と同じ学年だった事が判った。子供のときはたまに遊びに来てたが、お互い覚えてはない。自宅周辺を植物園にするというNさんの壮大な計画も着々と進められていた。キレンゲショウマもお月様のようにちらほら咲いている。コロンとしたつぼみが可愛らしい。
母の実家を一人で守っているおばが、たくさん野菜をくれた。そうめんを食べたりして良い気分で帰ってきたのだが、祖母のお墓参りをすっかり忘れていた・・・。ごめんよ、ばあちゃん・・・。


7月29日 (土) 夜、職場の身障施設で恒例の「夏祭り」があった。毎年雨に祟られるのだが、今年は何の心配もなく、夕刻いまだ炎天のもと、開会された。野外で行なうのはホンとに何年ぶりだろう。
最後を飾る花火もなんと美しかった事。
花火は美しいけど何故か悲しい。
私だけ・・・?

7月26日 (水) 高知県の高校野球の決勝戦があり、娘の母校である明徳高校が負けた。結果を知ろうとネットで検索すると、一般の投書があり、ひどい書かれようだ。自分の職場でもそうだが、行った事も実態も知らないくせに、他人は憶測だけでひどい事を言う。
美人が謂れもないイジメに遭うようなものである。スマしている、とかイジワルそうとか、妬まれて憶測だけでイジメるのである。しかも集団で。
明徳高校は以前野球部が出場停止になったし、確かにいろいろあると思う・・・・が、どこの学校も何かとあるじゃないか。教育方針はちゃんとしてたし、それに添った寮生活だったし、寄付を強制された事も無い。行事では楽しい思い出ばかりだ。何より娘にとってかけがえの無い友人達を得た事は一番の喜びだ。先生方も大変良くしてくれた。夕食時学食で隣で食べてたのが馬渕監督で「おんちゃんはね・・」と気さくに話してくれたとか(娘は馬渕監督が何者か知らない)、納得いかない事があって友達ら数人で校長先生に直談判に言っておしゃべりし、キャンディをもらって帰ってきたとか、担任の先生が出席を取るときだけはちゃんと皆を苗字で呼ぶのに、娘だけは絶対「ゆい〜」と名前で呼ぶとか、事欠かない。
人の世の噂や評定は常なれど、悪意なく公平な目で事実のみでしてほしいものじゃ・・・。

7月25日 (火) 巨人よ、どうしたのだ??
二岡は昨年末結婚したハズ?だったのに、スキャンダル?を聞く。どうなってるんだ?

7月22日 (土) 高知市へ市民劇場を観に行く。今回は「夢があるから」というミュージカルだった。ミュージカルの世界を目指す主人公とその仲間たち、戦争後の傷やライバルの妨害等乗り越え、さまざまな困難に立ち向かっていく。主役を食うほどの脇役の個性豊かな演技にも大喝采。
非日常なものに触れるのが自分自身のこやしとなる。

7月20日 (木) 昨日から高知市内へ一泊出張。昨夜は久し振りに友人と夕食を食べ楽しく過ごす。
ついに念願の「きんこん土佐日記」を購入。これは高知新聞の夕刊に連載中の4コママンガをまとめた単行本で、現在高知でブレイク中なのだ。バリバリ土佐弁のおじいちゃん・おばあちゃん、孫のたくみの物語。日常のひとこまが土佐弁で展開される。梼原は夕刊など来ないから今日初めて見たのだが、とりこになった。夕刊が配達される友人は、まっ先に読むと言っていた。みんなに教えてあげた〜い。

7月16日 (日) 夜、旧赤岡町(日本で一番小さい町だった)の絵金祭りへ。梼原から2時間かかるけど浴衣を着て行った。暑かったけどやっぱりお祭りは浴衣がえいね。最近は着物が流行っているのでウレシイ。着方もコサージュつけたり、半襟でオシャレしたり今風だ。「キモノを楽しんでいる」って感じがいい。
   
名物「おばば」、赤岡町・・絵金の発展振興に寄与している功労者とのこと。ますますお元気。前歯に「絵金」と彫っている。

7月15日 (土) 高知市内の病院へお見舞い行脚。下界は暑いったら。
以前、山からもらってきた「ヒメシャラ」が大きくなっていた。「つるりんどう」もつぼみになっている。・・・・いつの間に!いじらしいったらありゃしない。バラのアーチの陰でしかもハーブに埋もれていたのが良かったのか、うれしい限り。しかしいきなり陽の目を浴びて、枯れませんように。
団体を率いて走らなきゃならないリーダーは大変だ。リーダーもメンバーもお互い修行・成長のとき。悩み苦しみ、困難を乗り越える過程が大切なのだ。自分が大きくなろうとしている時だよ。

7月10日 (月) 四国Iランドリーグという野球リーグがある。「高知ファイティングドッグス」の選手たちが私の勤める施設へ訪問に来てくれた。選手たちは身体も大きく元気良く、覇気がある。私のいる事務局の隣がデイサービスなのだが、朗らかな笑い声がしばらくひびいてきた。若いっていいねえ。

7月9日 (日) 夜は娘を送りに大洲駅へ。auショップに勤める娘は、音楽充実の若者用と年配者向け簡単ケイタイで息子らとその友達の高校生&年配者の心をワシづかみにし、予約を取って帰っていった。梼原町は彼女の販売促進エリア(?)となった。しかも身内のみの。わかるわ、だってauカッコイイもん。

7月8日 (土) 福岡から帰省した息子を迎えに愛媛県三崎町へ。帰る途中松山から大洲まで帰ってきた娘を迎えに。久し振りに三人の子供たちが勢揃いした。子供たちも縁台が気に入ってくつろぎ、娘の音楽充実ケイタイに歓声をあげた。
・・・いつの頃からか私が一番小さくなった。

いつかしら僕よりも母は小さくなった
知らぬ間に白い手はとても小さくなった
母は全てを暦に刻んで流してきたんだろう
悲しさや苦しさはきっとあった筈なのに      「無縁坂」さだまさし

          
私が口づさんでどうする・・・
私はミラクルハッピーな運の良い人間。神様ありがとう!感謝します!

7月6日 (木) おへんろ仲間のヒロコさんが入院した。以前から体調は今ひとつだったが。一番信仰心の厚いヒロコさん、弘法大師が守っているよ。大丈夫、同行二人、ひとりではない。

7月2日 (日) おへんろ高知方面で1つだけ残していた青龍寺へ。お参りする頃は雨だったが、次第に晴れて天気予報は大ハズレ、暑い暑い。その後本日メインの北川村「モネの庭」へ。スイレンが見ごろで、モネが自宅の庭で咲かせれなかったという青いスイレンもきれいに咲いていた。すぐにカメラマンのツアーがきて、あっという間に池周りに三脚を立て占領・・・・。さっさと撮って、一般客に代わるとか、配慮をしてくれよ、ぷん、ぷん・・・人の振り見て我が身を・・・直しマス。
帰りに安芸市の野良時計へ。隣に梼原町の人が設計し、梼原の木材で建てたという「高園茶園」に行くと、ビックリ、経営者も梼原町のご近所出身の人だった。料理もおいしかったし、すごく良くしてもらって、何よりママさんが気さくな素敵な人!!
  

7月1日 (土) 縁台を買った。こんなに外気にふれるのが気持ちいいなんて。ただ庭を歩くのとは違った開放感がある。夜になり、ひんやりとした縁台にごろんと横になると、おぼろな月の横を飛行機が点滅して通る。川のせせらぎ、カエルやカジカの鳴き声、国道を通る車のライト、家からはナイター中継・・・暗闇の中そんな音だけに囲まれた贅沢な時間。
ああ・・しあわせ。

あ〜ち〜ち〜・あ〜ち〜ち〜・・
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