|
「え?何??来てないの!青島くんかわいそ〜」 病室の片づけをしながらすみれが奇声をあげる。 「別にかわいそうじゃないよ。普通でしょ?」 「普通じゃないですよ!」 青島が退院するので後片付けを手伝いにきたすみれと雪乃は、青島のお見舞いに室井が一度も顔を出していない事をからかっている。 「あの人こ〜ゆ〜事に律儀だと思ってたのに変ね。」 「青島さん・・嫌われちゃったの?」 「・・がーん。」 「呆れられて見捨てられたのね。あ〜あ、かっわいそ〜」 「二人ともひどい事いうね・・」 好き勝手な事を言っている二人だが、どうやら無事に退院となった青島を心から喜びつつ、その感情が裏返しになって憎まれ口になってしまうようだ。青島にもその辺りは伝わっているらしく、和やかなムードで退院の準備がすすんでいく。 ここで話題になったのは一度もお見舞いにこなかった室井の事である。といっても和久からコトのあらましは聞いていたので『見舞いにもこない人』というよりは『見舞いにもいけない人』なのだが、その妙な律儀さが二人の餌になっているようでもある。 青島が退院したという報は室井のもとにも届いた。 湾岸署からの連絡をもらってから室井はあの刑事が職場に戻って働けるという事実に素直に喜んだ。よろこんでから、少し落ち着かなくなった。 あれから一度もあってない。 自分達の思いは随分と以前にすれ違ったままになっている。 あれから何度も青島の事を考えた。自分自身の事も考えた。そして、やはり自分達の進むべき道は同じではないという事を何度も確信した。このことだけは伝えておかなければいけないと思った。 青島はどう思うだろう。このわがままで自分勝手な男の事を・・。 室井は時々夢を見る。ねっとりとした赤黒い血の海で横たわっている青島の姿。 自分は傍らに立ってかつて青島だった固まりを見つめる。ぼんやりと青島を殺したのはまぎれもなく自分だと納得している。 目がさめてから、青島は死んでないと自分に言い聞かせ、納得させるまでにパワーが随分いる。 大丈夫・・大丈夫まだ死んでない・・まだ・・? 死んでしまっていたかもしれない・・。 また同じ事を繰り返すかもしれない・・今度も無事だと誰が保証してくれる? 「無意味だな・・。」首を軽くふって時計をみる。定時に終わっている・・今日くらいは自宅に居るだろうと、青島の家に電話をしてみたが出ない。「まったく・・仕方がないヤツだ。」退院したのは今日の事なのに家に居ないとは。らしいといえばらしいが・・少し顔がみたかったので残念だった。室井は誰も出ない電話を切ってまっすぐ自宅に帰る事にした。 会いたいと思ったのは室井だけではなく、青島も室井に会いたいという気持ちがあったらしい。(この男の場合は見舞いを断った分だけ自業自得である。)マンションの前で待ち構えている男が一人。 「あおしま?」 男の姿を確認してから室井は目をむき出して驚いた。次にあきれて、次に出てきたのは説教だった。その間の青島は笑顔でこんにちはと挨拶しただけであったから、室井の一人芝居である。退院したばかりなのに、こんなところにノコノコと、しかも待ち合わせをするでもなくいつ帰るか判らない自分を、馬鹿みたいにつっ立って待っているとは呆れ果てた男だと散々説教したあとで、いつまでも立たせてもいられないとばかりに強引に部屋に招き入れた。 「なんかびっくりしました。」 「私こそ驚いた。なんなんだ君と言う男は信じられない。」 「信じられないだなんて・・室井さんに会いに来ただけなのに」 「折角良くなったのだから少しは自宅でジッとしていたらどうなんだ。」 「散々病院でジッとしていましたから、もう十分すぎるくらいですよ」 悪戯っ子がするようなどこか憎めないその笑顔に、室井は脱力感を感じて、持っていた湯飲みを力なく差し出してぐったりと座る。 「君にあったら一番に謝ろうと思っていたのにな」 「はい?」 「ケガをさせてしまった。」 「平気です。」 「あれは私の判断ミスだった。」 「そうかなぁ?」 「・・君が死ぬ夢を見るよ」 「・・・。」 室井はジッと青島の姿を見つめる。生きているという事実を確認するように。 「死にません。」 「死んでいたかもしれないだろ?」 今度は青島が顔をあげる。室井と目があう。とても真剣な目だった。 ああ、やっぱりこの人は苦しんでいた。 「死にませんよ」 「これから先同じような事が起らないとは必ずしも言えない」 「俺は死にません」 あいかわらず自信過剰だな。と呟いて室井は顔を少し伏せて青島とのにらみ合いをさけた。 睫毛が長いな、と青島は思った。 「甘くみないで下さいよ、これでも警察官ですからね。」 「・・・刺されたくせに偉そうに」 おもわず二人で吹き出してしまった。青島はイタタと背中を押さえながらも笑いがとまらない。 それから食事はしたのか?という室井の問いに、青島は遠慮なく空腹の旨を伝えた。そういえば食事を一緒にしたこともなかった。こんなに長い時間を二人だけで過ごした事もなかった。 不思議だなと室井は思う。 会話で埋めた訳でもない時間で埋めた訳でもない。自分と青島は一体どうやって親しくなったのか?どうやって理想をともにしようと思ったのか? どうやって二人で夢を見ようと思ったのだろう。青島は自分との関係をどう感じていたのだろう。 鍋が沸々と煮えてダシが出るのを室井はぼんやりと待っていた。 「室井さん」後ろから青島の声。 「いいから座ってろ。」 「室井さんを台所にたたせて、落ち着いてなんていられませんよ普通。お願いですから何かさせてください。」 上司を台所にたたせて寛げというのも、無理な話かもしれない。 「・・・。」 「室井さんって・・柔道してたんですってね」 「・・?ああ」 「強いですか?」 「・・・弱くはないが・・何だ?」 「いえ、こういう会話ってしてないなぁ〜って思って」 「なんだそれは。」 「なんか嬉しくって」 「?」 「こんなに室井さんとお話が沢山出来るなんてすごく嬉しいです。ちょっと浮かれてます。」 「・・・見舞いにはくるなって言ったくせに・・・。」 「あはははっ!イタタッ!可笑しいぃ〜室井さん勘弁してください。笑うとひびくんっスよ〜あはは」 「一体今の何処が笑える程可笑しい話なんだ。本当に変な男だな君は」 つまらない話を沢山した。どうでもいいような話を沢山した。 ためになるような話はなかったけれど室井は楽しいと思った。たあいのない話の中から室井の知らない、青島と言う存在の何かを知った気分になって、それが楽しいとおもった。 「明日から仕事なんだろう?そろそろ帰ってゆっくり休んだほうが良いな。」 「そ〜ですね。今日は楽しかったです。お邪魔しました。」 「明日からがんばれよ」 「はい。」 青島を送りだそうと腰をあげたが、肝心の青島がなかなか腰をあげずにジッと室井を見つめる。 「なんだ?」 「いつ言おうかなって思ってたんですけど」 「・・・?」 妙に神妙な顔をするので再び腰を降ろして青島と向き合う。 「約束しましたよね・・俺達の夢を実現するためにがんばろうって」 「・・・ああ」 わずかに室井の中で苦い物がある。それは顔には出さなかったけれど。 「青島・・私はな・・」 「室井さん・・俺、室井さんが好きです。迷ってる室井さんが好きです。俺達の事考えて迷って苦しんでくれる人だから、だから俺達は貴方じゃないとダメなんです。」 「青島・・私はそんな出来た人間じゃあない・・お前達がそうやって身を削るように血や汗を流しているのに・・私には何もできない。」 痛い物が嵐のように室井に襲い掛かる。それは言葉にすると罪悪感だったり、力量が足りない事をまざまざと見せつけられる憔悴感だったり、怒りや焦りをごちゃまぜにした感情の嵐。 室井はこの嵐に黙って耐える事しかできないでいた。 「室井さんには何も出来ない。俺の夢を叶えるのは俺の力です。室井さんの夢を叶える為に、俺が何も出来ないのと同じです。」 青島の言葉に弾かれたように体を震わた。 「あ・・」 ああ、そうだった。目指す物は同じだけれど決して同じ道なんてありえない。違って当たり前だった。判っていたハズなのにいつのまにか忘れていた。こんな簡単な事を・・。 二人は初めて会った日を思う。 捜査会議が行われている。 室井は本部の中央に座って指事をだしている。青島は捜査員として室井をみている。 「室井さんがソコにいて、そして俺達がこっちにいる。」 「俺達は室井さんの指事を待つ。俺達は俺達の持つ最大限の力でもってあなたの指事にしたがう。あなたは俺達の事を知っていてくれたらいい。」 「俺達がここにいるんだという事を判っていてくれたらそれでいい。」 「俺達のあり方はそれでいい。」 思いもかけず青島の顔が間近にあって室井は驚いた。 胸にあった苦い物はすでにない。 「ちょっと痩せましたね。」 「・・・気のせいだ」 「俺は死にませんよ」 「・・・当たり前だ!」 黒目の多い瞳から、とても綺麗な雫がぽつりと落ちた。 「欲を言えば俺の事を少し特別に思っててくれたら嬉しい。」 「今さら何を・・・おまえは最初から特別だったじゃないか!」 序章 その1「わかれる道」 その2「伝わらない言葉」 その3「踊り続ける人形達」 その4「届かない」 その5 「遠いまぼろし」 その6 「虚像の願い」 その7 「背徳と事件」 その8 「夢を見るなら、良い夢を」 終章 |