熱意とは事あるごとに意志を表明する事である1月28日、第3回めだかの学校の時、私のプレゼンの最後で次の言葉を紹介した。
「熱意とは、事あるごとに意志を表明する事である」
これは、水俣病患者運動のリーダーの一人として名高い故川本輝夫氏の座右の銘だとの事である。昨秋、「回想・川本輝夫 ─ ミナマタ・井戸を掘ったひと」というドキュメンタリーのビデオ作品を観る機会があり、作品の中で述べられていた。
水俣病は、最初期は貧しい漁民の間に拡がった「奇病」として恐れられ、患者たちは激しい差別にあった。やがてそのように差別していた人々の間にも水俣病の症状が現われるようになり、病像の広がりによる患者数の拡大と認定制度、補償金の問題、それに企業城下町であった水俣の地域性なども相俟って、一時は地域の人間関係がズタズタになった。川本氏は、そうしたとてつもなく厳しい現実の中で、熱心に未認定患者の掘り起こしに奔走し、また、「暴力患者」と呼ばれ、批判を受けながらも、自主交渉派リーダーとして信念を貫き通し、生涯精力的に活動を続けた人である。冒頭に紹介した言葉には、その川本氏の人柄が表われているようで、なかなか味わい深い。
さて、第3回めだかの学校のメイン企画は、坂出市立病院再生を扱ったNHKのドキュメンタリー・ビデオ上映だった。日本一の赤字病院から優良病院への同病院の大転換の秘訣は職員の意識改革であり、その合言葉が「変わらなくちゃ」だった、というのがビデオの内容である。
だが、ビデオ上映後のアンケートを見ると、少数ではあるが、予想どおりというか、「職員よりもまずトップが変わるべき」というような感想があった。ま、こうした指摘自体に一面の正しさがあるかどうかはさておき、こうした意見には少なくとも、自身に対する内省を棚上げにし、他者責任をのみあげつらう心理的姿勢がほの見えるように感じる。
われわれ職員一人一人にとってまず大事なのは、他者を含む環境がたとえどうであろうと、自分の中にどれだけ「事あるごとに表明する」に足る信念を抱き、それを追求し続けることではないかと思うが、どうだろうか。