いのちの砦「いのちの砦」という言葉が好きだ。というか、二十歳台の頃から私にとって、導きの糸となってきた言葉だ。
わが国では、戦後復興期以降、産業化が急速に進む一方で、公害と労災職業病の多発が社会問題になった。1960年〜70年代のことだ。健康被害の問題をめぐって住民や労働者と国、企業との対立が生まれる中で、医療界全体は必ずしも住民・労働者の側に立ったわけではなかった。こうした状況を背景に、住民・労働者の立場に立つことを鮮明に打ち出す医療従事者の動きが各地で生まれた。わが防治会はそうした運動の中で設立された医療機関の一つであり、私が最初に就職した和歌山県の病院も同様の組織であった。「いのちの砦」とは、そうした運動の中で住民・労働者側の立場に立つ拠点となる医療機関を指して用いられた言葉である。
今、「いのちの砦」が守るべきものが何かと考えた時、その位相は実に多様になっている。健康を脅かす相手が単独の企業という単純なケースは少なくなり、国際化してもいる。高知県でスモッグを引き起こしているのは、はるか中国の工場群だ。彼の地では厖大な数の労災・職業病被災者が生まれているに違いなく、気がかりだ。一方、わが国内では格差社会化を指摘する声が高まっているが、それと呼応して健康格差という現象についても議論され始めている。社会構造の変化そのものが、いのちにとって脅威であり、対応が考えられなければならないのだ。アスベストのように、発生原因そのものは古典的ではあるが、晩発性のため、健康被害の発生がこれから本格化すると予測されている、時限爆弾のような問題もある。また、身体的な健康ばかりではなく、守るべき「患者の権利」として、インフォームド・コンセントなど、患者の自己決定権や、知る権利など、情報に関わる課題にも対応が必要だ。
さて、こうした中、忘れてはならないのが、タバコの問題である。周知の通り、タバコは単独の商品としては、人類の健康にとっての最大の脅威である。癌をはじめとするタバコ関連疾患により、全世界での喫煙を原因とする死者は年間480万人以上に達するという推計がある。健康を守るべき病院が、なかんずく「いのちの砦」を目指してきたわが防治会が、タバコと闘わなくてどうする、というのが私の考えだ。
当院では、事情によりいまだ敷地内全面禁煙に至っていない。喫煙コーナーの辺りは、いつ行ってもタバコ臭がして、近隣にご迷惑をかけ続けている。こうした状況からなんとか一歩を踏み出したいものだ。へたをすると、「いのちの砦」を築いてきたつもりが、気がつくと、そのあるじは死神だった、なんてことになりかねない。