IZ-News 09年07月号より
セミと記憶

当院2階の廊下の壁に、大きなアブラゼミの絵(画:矢島道子さん)が架かっている。夏の訪れとともに大音量で鳴きはじめるセミは、私にとってとても象徴的な昆虫だ。セミといっても色々な種があるが、その種毎の初鳴きを聞くたび、いつも少年時代の記憶が蘇ってくるのである。

ニイニイゼミの声で思い起こすのは、中学時代の期末試験の頃の情景だ。普段は部活で帰りが遅くなりがちだが、試験期間は日中早い時間に帰宅する。帰路の途中、ニイニイゼミがいつも喧しく鳴いていた。季節が少し進み、夏休みに入ると、主役はアブラゼミである。小学生の頃、夏休みともなれば、毎日屋外で飽きもせず遊び呆けた。その時、周りから聞こえてくる音の中で、主調をなしていたのは常にアブラゼミの鳴き声だった。その夏休みも、ツクツクボウシの声が目立ち始めると、終りが近づく。とても寂しい気分になったものだ。

クマゼミは、どういうわけか、私の認識世界の中では新顔である。小学校高学年だったある日、自宅の縁側に立っていて、クマゼミと初めて遭遇した記憶が鮮明に残っている。アブラゼミと比べ明らかに垢抜けた鳴き声、透明な翅、重量感のある漆黒のボディ。飛行するその姿を見て興奮した。ちなみに、この自宅縁側でのクマゼミ初目撃の記憶は、よど号ハイジャック事件が発生した時、上空が何となく気になり、同じ縁側から空を見上げた記憶と、何故か私の中でセットになっている。事件が起きたのは1970年3月だから、季節は合わないのだが…。

私が育った三重県の平野部で主に生息していたセミは以上の4種である。ミンミンゼミを平地で見ることはまずなかった。ところが、東京発のマンガやアニメでは、セミといえばミンミンゼミを指したので、「わが家の近くにはミンミンゼミがいない」は、私の東京コンプレックスの一要因を成した。だから、わが家から少し離れた養老山系の山中に両親とハイキングに行った時、初めて聞いたミンミンゼミの声は良く覚えている。両親との数少ない外出の記憶は、ミンミンゼミ様の有難いお声に彩られているのである。ヒグラシも同様、三重県では山のセミだ。私にとってヒグラシの声は、学校で行ったキャンプの記憶と結びついている。

かくのごとく、セミという昆虫は、季節性と変わらぬ鳴き声を媒介に、ヒトをして人生の古い記憶を突然呼び覚まさせるような、不思議な力を持っているような気がする。病院の廊下にそうしたセミの絵が架かっているのも、なかなかおつなものだ。


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