IZ-News 10年9月号より
親父のカルテ

当院のカルテ開示を担当している。すなわち、患者からカルテ開示の申し立てがあった場合、当院ではいつも私が対応することになっている。だがこの度、いつもの私の役回りと逆の立場に初めて立った。この7月に亡くなった父のカルテを、死亡先の病院に対し開示請求したのだ。その病院に対して不満や不信があったわけではない。そうしたものとはまったく別の想いから出た行動である。

私たち診療情報管理士はカルテを読むのが仕事だ。そして、カルテというものが患者本人・家族と医療スタッフとが傷病と向き合った「命の記録」である事を知っている。そのような他ならぬ私が、父の生の最期の記録を読んでやらないでどうする、読んでやることこそが供養ではないか、との想いにとらわれた。それが今回の開示請求の理由だ。

さて。先日、法事のため帰省したその足でその病院に行き、カルテのコピーを受け取った。早速読んでみたが、「読むことは供養」の考えが間違いでないと改めて思った。私の父は今年の春から在宅酸素療法を始め、外来で治療を続けていたところ、夜中に自宅で倒れ、救急搬送されたその日のうちに死んだのだが、記録からはそうした父の姿もさることながら、父の命に関わった実に多くの人の姿が浮かび上がってくる。主治医、紹介医、読影医、当直医、酸素業者の点検担当、救急救命士、救急外来やCCUのスタッフたち、等々である。

こうした医療の営みに想いを馳せ、逝ったものの生の記憶とともに心に刻んでおく事にはそれなりに意味がある。今回の記録をかみ砕いたダイジェストを作り、他の家族にも見せてやろう、と、いま私は考えている。


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