IZ-News 11年06月号より
エビデンスあれこれ

最近、TVを観ていて、おやっと思うニュースがあった。自動車の排気ガス曝露量と小学生の喘息発症率との間に関連性があると初めて認める調査結果を環境省が公表したというのである。私は、排ガスと喘息発症との関連性は、とっくの昔に立証されているものだと思っていた。おやっと思ったというのは、このことについてこれまでエビデンスがないという報道に、違和感を感じたからだ。環境省のホームページ(注1)を調べてみたら、調査結果の概要は次のようなものだった。

学童コホート調査排ガス曝露量(注2)との関連性あり
幼児症例対照調査排ガス曝露量との関連ははっきりしない
成人調査(注3)排ガス曝露量との関連ははっきりしない
※調査は2005〜2009年度

近年、医療現場では、われわれは普通に「エビデンスは?」と問い、エビデンスの有無によって物事の信頼性を量るようになっている。だが、当たり前のことだが、エビデンスを出すためにはそれなりの手間もヒマもかかる。今回の環境省の調査に関しても、しかるべき行政担当当局がやるべき調査を永らくサボってきたと評価するかどうかはともかく、しかるべき組織がそれなりに資源をつぎ込んで調査しなければ、市井の個人や組織レベルではなかなか疫学調査など困難な場合がある。それがこれまで排ガスについてエビデンスがなかった理由だろう。エビデンスとは、調査を求めなければ得られない場合もあるのだと、あらためて実感させられた。ことに健康被害の問題に関しては、行政当局等に必要な疫学調査をしっかり求めていくことが重要だと思う。現在起きている福島原発事故など、まさにそうした例だ。

さて、一方、「エビデンス社会化」に懸念を表明する言説もある。先日読んだ本(注4)によると、著者の松繁氏は、医療の上においてEBMの科学本位の価値観が、生活コンテクスト本位の患者の「素人知」を排除する危険性について考察している。EBMはたしかにすぐれた概念/実践だが、少し間違うと、専門家(医師・医学者)が素人(患者)の意向を上から押さえつけるツールになる可能性もたしかにあるかもしれないと感じる。エビデンスをどう扱うかという問題は、色々な意味において、案外と奥が深そうだ。


注1) 局地的大気汚染の健康影響に関する疫学調査結果について http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13826
注2) EC(元素状炭素)およびNOx(窒素酸化物)推計曝露量
注3) 喘息:症例対照調査、COPD:断面研究
注4) 「患者中心の医療」という言説 ―― 患者の「知」の社会学(松繁卓哉著、立教大学出版会、2010年)

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