三つのほしょう原爆被爆者運動の中では、古くから「三つのほしょう」という考え方が提唱されていた。補償・保障・保証の三つである。この「三つのほしょう」は、それぞれ過去に対する補償、現在に対する保障、そして未来に向けた保証、と整理される。つまり、何らかの加害行為(原爆の場合は原爆投下)によって奪われた命や生活に対し償わせるのが補償、現在進行形である生活上の苦境に対してケアを求めるのが保障、そして、今後、二度と同様の被害が起きないような手立てを求めるのが保証というわけだ。
いま、東日本大震災と福島原発事故(とくに原発事故)から1年が経過する中、原爆被爆者運動の中で使われてきたこの「三つのほしょう」という視点が、私たちにとても大きな示唆を与えてくれるような気がしている。とくに福島原発事故について考えた場合、事故によってもっとも大きな被害を受けた(受け続けている)周辺住民たちに対し、補償・保障は十分と言えるのかどうか。また、保証はどうか?
保証と言う場合、意味合いは二つある。ひとつには、すでに被害を受けた人にとっての保証である。つまり、もう二度とあんなことはゴメンだという被害者の気持ちに応えるという意味での安心保証。そして、もうひとつには、被害を受けていない人(ないし、被害が相対的に小さい人)にとっての安心保証。こちらの場合、福島以外の原発立地にとっても、とても大きな課題として浮上してくる(たとえば四国ではどうか?)。
また、福島事故以来、もはや日本国内での原発の新規建設は無理だということで、原発輸出に望みを託す原子力産業界の声もあるようだが、そのような考えに正当性はあるのだろうか? 少なくとも、安全面でのあらゆる面からの厳密な検証がなされ、よほど確かな保証が得られない限り、「海外へのリスク移転」は正義にもとると言わざるを得ないだろう。
「三つのほしょう」という視点で物事を考えるということは、結局のところ、人々の命や暮らし、現在、過去、未来に想いを馳せ、時に自分自身に引き寄せつつ、また、その人の視点に寄り添って考えるということだ。医療や介護にも通じるところ大だろう。