IZ-News 12年08月号より
釜ヶ崎にて

少し前だが、こんなことがあった。
6月末、大阪出張の機会があった。ここ数年、私は大阪出張の際には夜行の高速バスで行き、早朝大阪に着くと決まって西成区にある日雇い労働者の街、いわゆるあいりん地区(釜ヶ崎とも呼ばれる)に向かい、朝食を摂ることにしている。そうするにはそれなりの理由があるのだが、今回はこのことには触れない。紹介したいのは、今回朝食中に食堂の隣のテーブルから聞こえてきた2人のおっちゃんの会話の話である。


「シャワーは6時からか?」「そう、6時から…」

どうも、どこかの飯場への誘い話のよう。といっても、誘っている方は、手配師という風情ではなく、労働者のよう。「俺も行くからお前もどうだ」という感じか?

「単価は良いんだが…」「4時間…」

ん? 1日の労働時間が4時間? どんな仕事だ?

「身分証明書がいるんだ…」

んんん?

「フクシマ……ゲンパツ……」

そういう事か! 身分証明書がいるのは、放射線管理手帳交付のためか? 4時間というのは、被曝線量の関係…?


つまり、福島からこんなところ(大阪)にまで求人に来てるというわけ。ずっと以前から、原発では定期点検などで被曝を伴う作業に日雇い労働者が動員されていることが知られている。雇用が不安定な彼らにとっては被曝か雇用かの選択を常に迫られてきたわけだ。このように、こと労働に伴う被曝に関しては、空から降ってくる放射能ほどに平等ではない、顕著な差別の構造がある。最近、線量計を鉛で覆って作業したなど、線量ごまかしの実態についての報道なども今さらのようにあったが、こういった類の話は、下請け孫請けの現場では昔からよく知られたことなのである。だが、このような事実はマスコミではあまり十分に報道されず、原発関連産業に見られる差別の構造も世間で広く認識されているとはおそらく言い難い。

このように、原発に限らないが、ものごとについて深く掘り下げて理解するためには、現場への想像力と、現場に密着してつぶさに観察する「虫の目」ともいうべき視点が必要だ。対象から距離をおき、全体を鳥瞰する「鳥の目」も大事だが、私は常に「虫の目」を忘れないでいたいと考えている。医療や介護の問題でも、同様のことが言えると思うのだ。


※空から降ってくる放射能も平等というわけではない。原発立地と電力消費地である都会とでは損害の程度も異なり、ここにも都市/地方の差別構造が見られる。だが被曝労働に係る差別構造は、これとはまた別種のものである。

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