倫理の力と資本の論理もう2ヶ月前だが、高知新聞に載った「震災後論」という記事で、作家の池澤夏樹さんがとても素敵な文章を書いている。全文を紹介したいところだがそうもいかない。ごく一部のみを以下、抜粋する(太字は引用者)。
そう。アベノミクスとやらのせいか、「株で一獲千金を狙うような生き方」が、このところまた頭をもたげてきているフシが感じられないでもない。だが、われわれ医療者のやり方はそうではない。患者さんへの対人サービスの質を愚直に追求することのみがわれわれの倫理であり、また、生き方なのだと思う。
結局、われわれに足りなかったのは倫理の力ではないでしょうか。(中略)原発について言えば、もはや浅ましいというレベルではない。あれだけの事故を起こしたにもかかわらず、東京電力はその瞬間から言い抜けを考えていました。(中略)
倫理とは、言ってみれば、金もうけのために隣人を裏切るなということです。ところが、資本主義はそうではない。人よりも会社だから、だますギリギリのところでもうけても、良いことだとされる。(中略)
残念ながら、倫理を製造して配ることはできません。そうである以上、われわれは資本の論理の外から始めるしかない。(中略)
ひとつひとつは小さいけれど、これまではあまり見えなかった動きもいろいろあります。楽観的に捉えることもできるし、そうは言っても問題は山積だと悲観することもできるでしょう。ただ、人はいつだって悲観と楽観の間をふらつきながら生きてきました。少なくとも株で一獲千金を狙うような生き方に比べれば、ずっとまっとうなはずです。
いま、世間では久しぶりにやってきた「景気回復」で、何やら妙な高揚感が満ちている。だが、こんな時こそ、本当に大切な事が何なのか、冷静に考えてみることが必要なのではないか。そんな事を考えている今日この頃である。