IZUMINO-izm 13年08月号より
第三の男と戦略爆撃の思想

1949年製作のイギリス映画「第三の男」をご存じだろうか? テーマ曲がとても有名で、エビスビールのCM曲としてもお馴染みだ。舞台は第二次世界大戦直後のウィーン。映画終盤、闇ペニシリン密売人ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を旧友ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)が詰問する。「君は粗悪ペニシリンの犠牲者を1人でも見たことがあるのか?」と。場所はプラーター公園にある大観覧車の中。ハリーは観覧車が頂点に達したとき、蟻のように小さく見える地上の人間を指しながら、こう言い放つ。「犠牲者? 感傷的になるなよ、あそこを見てごらんよ。あの点が1つ動かなくなったら、君は本当にかわいそうだと思うかい? もしも僕があの点を1つ止めるたびに2万ポンドやると言ったら、君は本当に、なんの躊躇もなく、そんな金はいらんというかね?」

前田哲男氏は、著書註)の中で、ハリー・ライムのこの言葉を「戦略爆撃の思想」の象徴として紹介している。飛行機が戦場に登場し、史上初めて都市に対する無差別爆撃が行われたのは、ナチスによるゲルニカ爆撃だ。一度きりだったこの都市爆撃のスタイルを、長期間持続的な「戦略爆撃」へと発展させたのが、日本軍による重慶爆撃。この「戦略爆撃の思想」はさらにヨーロッパ戦線、そして連合軍による日本各地に対する都市爆撃へと受け継がれ、ついにはヒロシマ・ナガサキへと至る。前田氏は言う。「核保有国のみならず日本もまた、みずからかかわった空からのテロリズムの歴史を直視することなしに、彼らを裁く道義的資格はもっていない」。

それはともかく。前田氏は「戦略爆撃の思想」とは、「眼差しを欠いた空からの殺戮という新しい暴力」であると指摘している。「眼差しを欠いた」というのは、被害者に対する想像力を欠くことで加害者の倫理観を麻痺させるはたらきのことを指す。この概念でいえば、最近の無人兵器などは、この思想の純化・発展形であるといえよう。だが、さらに敷衍していえば、この「戦略爆撃の思想」は、現代のあらゆる場所に見受けられるような気がしないでもない。放射能があれだけばらまかれながら、「原発事故で死亡者は出ていない」などと発言した政治家がいたが、あれなどは眼差しも自覚も欠いた暴力ではないか? 現代のハリー・ライムを彼らに感じるのは、私だけだろうか?

註)前田哲男:戦略爆撃の思想 ゲルニカ ― 重慶 ― 広島への軌跡、現代教養文庫、1997年


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