ここが切羽だ、ここを掘れ昨秋から今年にかけて炭鉱・炭坑※関連の本を断続的に読んでいる。これまで読んだのは次の通り。
1)炭坑(やま)の灯は消えても (原田正純、日本評論社、1997年)
2)追われゆく坑夫たち (上野英信、岩波新書、1960年)
3)地の底の笑い話 (上野英信、岩波新書、1967年)
4)むかし原発 いま炭鉱 (熊谷博子、中央公論新社、2012年)
5)筑豊炭坑絵物語 (山本作兵衛、岩波現代文庫、2013年)日本ではほぼ消滅したに等しい石炭産業。何が面白くてそんなテーマの本を続けて読むのか、不思議に思われるかもしれない。だが、それが面白いのだ。熊谷博子が上掲 4)のエピローグにとても共感できる文章を書いている。少々長めの引用だが、お赦し願いたい。
※炭鉱・炭坑:通常、炭坑とは石炭を掘る穴や坑道を、炭鉱とは鉱山全体のことをさす。
炭鉱は、なぜこうまで人を惹きつけるのか。炭鉱の世界には、人間が生きていくことに関するあらゆる事柄が、凝縮されてドラマティックにつまっている。そして日本の歴史を振り返り、今と重ね合わせると、炭鉱という場所だからこそ、はっきりと見えてくることがある。国のあり方も、労使の関係も、職場の安全も、自然との闘いも、地方の経済も、産業の発展も、政治も戦争も、差別も、文化遺産も……。いわば日本がつまっているのだ。
三池から掘り始めて、炭鉱のあった多くの場所を通り、日本を掘る。それは、今私たちが抱えている問題の根っこを見つめ、さらに日本の未来を見つめることでもあった。
坑道の最先端を切羽(きりは)と言う。私も、現代の別の切羽に立ち、あきらめずに目の前に横たわっている問題を掘り続けたい。現代という切羽から、未来に向けての希望を、皆でゴットンゴットンとつるはしをふるって掘り出すのだ。