IZUMINO-izm 13年10月号より
三池鉱炭じん爆発事故から50年

大きな事故や出来事から50年という節目の年になると、新聞やTVなどで特集が組まれたりする。今、私が注目しているのは「三井三池鉱炭じん爆発事故50年」をマスコミや世間がどう取り扱うかである。

1963年11月9日におきたこの事故は、458人が死亡、800人以上が一酸化炭素(CO)中毒となった戦後最大級の労災事故である。三井三池といえば、「総資本対総労働」とまで言われた三池大争議(1959〜1960年)が有名だ。石炭から石油へのエネルギー革命の中で、筑豊などの中小炭鉱はことごとく閉山を余儀なくされ、三池のような優良鉱では大規模な合理化・人減らしと安全衛生費用を含むコストの削減による「生産性向上」が目指された。このような背景の中で発生したのが三池争議であり、炭じん爆発事故であった。

炭じん爆発の場合、事故防止は困難なことではない。散水・岩粉散布などの処理をまめにやっておれば、炭じん爆発のリスクを十分におさえることができる。事故はまさに人災であった。ところが事故後、原因調査にあたった学者たちは、原因究明ではなく、原因特定を曖昧にすることに奔走し、会社(三井鉱山)の刑事責任はついに問われずに終わった。御用学者と○○ムラが癒着する構図は、今も昔も変わらない。

さて。炭じん爆発事故の被害で、忘れてならないのがCO中毒である。外傷がなく、見た目はまったく普通な彼らは当初軽症とされた。しかし、彼らの多くがCOガス吸入によって脳に器質的なダメージを受けていた。今でいう高次脳機能障害だが、事故当時はCO中毒の症状はあまり理解されず、医師ですら一部には「組合原性疾患」「疾病利得」などと、患者に対して差別的まなざしを向けるものがいた。

事故の生存者が現在、どれほど残っているか私は知らないが、故原田正純氏の著書に1996年時点の調査結果が記されている。受診者156人中、自覚症状のある者は97%。他に、性格変化72%、知的障害68.6%、神経症状48.5%などとなっている。それから現在で17年。事故当時20才台だった者は、現在は70才台になっているはずだ。事故はまだ終わっていない。

※原田正純:炭坑(やま)の灯は消えても ―― 三池鉱炭じん爆発によるCO中毒の33年、日本評論社、1997年


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