原風景、ビジョン、イリュージョン先月の本欄で、自身の信ずる原理・原則を希求することについて述べた。そう書きながら思い出したのが、1年あまり前に読んだ「人権という幻」1)の著者、遠藤比呂通氏である。氏は、東北大学法学部助教授(憲法学)を9年半勤めた後、釜ヶ崎2)に法律事務所を開設し、ここ10年あまり活動している弁護士。彼が信じ、追求して止まないのが「人権という幻(A Vision Named Human Rights)」だ。
彼が著作で使う用語は独特だ。彼のいう幻(Vision)は、決して幻想とかまやかしといったネガティブなものではない。人々がそれを希求しつつ、未だ果たすことのできない「あるもの」。それを幻(Vision)と呼ぶ。一方、この「幻」と遠く離れた現実は「原風景」と呼ばれる。われわれは「原風景」を出発点とし、「幻」を求め不断に闘っているのである。彼の著作「人権という幻」では、その「幻」を目指す闘いとして、著者の関わった様々な訴訟事件が紹介されている。
弁護士は裁判で闘う。一方、われわれ医療従事者の闘いの舞台は専ら医療現場といえるだろう。医療現場では、私たちは皆それぞれ、自分なりの「原風景」と「幻」を持っているのではないだろうか? 患者の権利しかり、医療安全や医療の質しかり……。
で、私が思うに、幻(Vision)とは、人々がそれを希求し、実現に向けて努力する限りにおいてはじめて幻(Vision;ビジョン)と呼ぶにふさわしい。実現に向け努力することをやめてしまったなら、それはもはやビジョンではない。イリュージョン(Illusion;幻影)と呼ぶべきだろう。
1) 遠藤比呂通:人権という幻 ―― 対話と尊厳の憲法学、勁草書房、2011年
2) 釜ヶ崎:大阪市西成区にある日雇い労働者の街。いわゆる「あいりん地区」の通称。