IZUMINO-izm 16年07月号より
むらと原発 (1)

むらと原発。さいきん読んだ本の書名である。副題に「窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」とある。そう、1980年代のあの時、もしも窪川(現四万十町)の原発計画が容認されていて、2011年の大地震が南海トラフで発生していたなら、今の福島で起きていることは高知で起きていることだったかもしれない。

ただ、もっとも、本書はそのように反原発を声高に主張する本ではない。「むら」についての、どちらかというと民俗学的考察の書である。さて、そうなんであるが、このあたりの紹介については来月に譲り、今回はさしあたり、本書を読んでいて気付いた、あるいは思い出したごく些末な事柄について述べてみたい。

第1点。162-163頁にこうある(括弧内の註はいとえー)。


(1980年)11月の講演会の後、葛岡(哲夫)は医師として(原発反対)運動に関わる人たちを側面から支援するために毎月窪川に通い、志和を拠点に健康相談と指圧講座を開いた。四国勤労病院に勤務する若い医師たちもここに参加した。
と、唐突に四国勤労病院の名が登場する。へぇ〜。わが防治会にそんな時代があったんだ。と、ちょっと独特の感慨が湧く。

第2点。本書の登場人物の中でもっとも存在感を放っている島岡幹夫氏。当時の反原発派のリーダーだが、私は彼の演説を聴いて、野次を飛ばしたことがある。たしかたぶん1982〜3年頃のことだ。本書を読み、ふとそのことを思い出した。当時、京都で反原発住民団体の全国交流会があった。彼は活動報告の中でおそらく地域回りの苦労について述べ、続いて、「だけど、地域のご婦人方と仲良くなれるので役得だ」と発言した。もちろんただの軽口に過ぎないが、少々セクハラ気味にとれなくもない発言だったので、当時京都に住んでいてたまたま集会を聴きにいっていた私は冗談半分にだが「ナンセーンス!!」と、つい反射的に野次ってしまった……。実にたわいないエピソードである。

30年以上前、創立間もない四国勤労病院のことなど、当時の私はまるで知らなかったが、京都で島岡氏に半畳を入れていた私と意外なところでつながり(というほどでもないが)があった。何ともいえない、妙な感じである。

※むらと原発:猪瀬浩平、農山漁村文化協会、2015年

【参考】
・読書日誌:むらと原発
・島岡さんの思い出


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