IZUMINO-izm 19年04月号より
若葉の頃

進学、就職の季節である。この時期になると、あの時はああだったとか、とかく若い時分のことを思い出しがちになるものである。今から思うと、私の場合は当時、けっこう恵まれていた。わが家は家計的には豊かな方ではなかったが、さまざまな制度に助けられた。大学時代、ずっと学生寮に住んでいたので、生活費は安く済んだ。また、奨学金も受けていた。授業料の金額は今でも覚えているが、年額14万4千円だった。しかし、はじめのうちは全額免除されていた。まったく勉強しなかったので、やがて半額免除になり、しまいにはそれもなくなったが、学生時代後半にはすでに安定したバイト収入を得ていたので、授業料を支払うことができた。この頃は親からの仕送りも辞退していた。それでも少額ながら貯金ができていた。

一方、大学5年になっても卒業の見込みがまったく立っていなかったので、通常の就職活動とは無縁だった。だがその頃ちょうど、和歌山県に紀伊半島地域における振動病の治療拠点をつくる新病院開設の動きがあり、このプロジェクトに大阪の労働安全衛生NPOが関わっていた。私は所属していた社会運動系サークルの関係でこのNPOの事務所に出入りしていたので、あるときNPOの事務局長に電話して、私もこのプロジェクトに参加させてほしいと伝えた。返事はひと言「ええで」。即答だった。かくて翌年、私は大学在籍中のまま、病院事務屋稼業に足を踏み入れることとなった。35年前の話だ。ふつうの就活を経験した方、ことに就職氷河期とまで言われたロスジェネ世代の方などからは「ふざけるな」と言われそうだ。

このように行き当たりばったり、お気楽な人生を送ってきた。だから、これまで私の中に蓄積してきた仕事上の知識やノウハウなどは、私有財産のように独り占めしたりせず、同僚や同業の仲間たちにできる限り還元しようと心がけている。お気楽に人生を過ごしてきたことに対する、せめてもの罪滅ぼしのようなものである。


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