IZUMINO-izm 20年09月号より
last, but not least

「last, but not least」。直訳すると「最後だが最小ではない」。会話などの中で「あ、そうそう、最後にもうひとつ大事なことを」というニュアンスで用いられる言い回しである。憲法学者の樋口陽一氏が先日出した岩波新書※1のあとがきの中でこの言葉を用い、編集者への謝辞を述べている。

これには背景がある。というのは、樋口氏は1979年から1999年まで10年毎に三冊の岩波新書を書いている※2。そしてそれから20年が経過し、氏は現在85歳。おそらく今回が同新書では「last」の著作である。だが、「not least」。ここに、氏の叫びにも似た想いが込められている。

本書の副題は「ネオリベラルとイリベラルのはざまで」。ネオリベラルとはいわゆる新自由主義。グローバリズムや、大企業の「儲ける自由」「搾取する自由」を推進する思潮をさす。イリベラルとは「リベラル派」を敵視するトランプのような傾向、思潮のことである。ちなみにイリベラルを辞書でひくと「けち、狭量、無教養」といった訳語が並ぶ。

戦後西側諸国の憲法の共通基準とされ、わが国の憲法にも体現されているリベラル・デモクラシーが、こうしたネオリベラル、イリベラルに挟撃され、危機に瀕していると、樋口氏は説く。また、自民党による2012年改憲草案の狙いは、他国に先駆けて「イリベラル・デモクラシーの憲法規範化」を成し遂げることにあると指摘する。そして、日本と世界の近現代をていねいに振り返り、あらためてリベラル・デモクラシーの意義を語るのである。

「last, but not least」。オールド・リベラリストの渾身の訴えである。心して読むべし。


※1)リベラル・デモクラシーの現在 ── ネオリベラルとイリベラルのはざまで(2019年)
※2)比較の中の日本国憲法(1979年)、自由と国家(1989年)、憲法と国家(1999年)
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