IZUMINO-izm 21年11月号より
関白宣言と新しい資本主義

今回の考察対象は、さだまさしの「関白宣言」である。1979年に発表されたこの楽曲は当時、男尊女卑などとして物議を醸したが、さだの代表曲のひとつとして40年以上生きながらえ、昨年はコロナ禍後初の緊急事態宣言下、「緊急事態宣言のうた」という替え歌が作られて、再び脚光を浴びた。

さて、3年ほど前、私が所用で長距離ドライブ中のことである。車中でたまたま「関白宣言」が流れてきて、私は何気なく聴いていたのだが、途中で歌詞のある部分に強い引っかかりを感じた。次の部分だ。
「忘れてくれるな 仕事もできない男に 家庭を守れるはずなどないってことを」

この詞は、全体として、結婚を前にした男性が、妻となる女性に対して「宣言」を行い、あれこれ注文をつけるという内容なのだが、私が引っかかりを感じた箇所は、つまりは「俺は仕事のできない男だ、家庭を守る能力もない、だから妻たるお前が守れ」という意味だ。歌のこの下りを聴いた私はこの時、心の中で「仕事もできないくせに、何て偉そうなんだ」とツッコミを入れた。だが、次の瞬間、思った。「ちょっと待て、いま私は、仕事の能力が低い=人間的価値が低いと思ったのではないか?」「私は何て差別的な、嫌な奴だ」と、自分自身に対してぞっとなった。しかし、そのまた次の瞬間、こうも思ったのだ。「だが、この感覚って、私ひとりだけではないんじゃないか?」と。

1979年当時、私も(おそらく)世間も、歌詞の男尊女卑的内容註)に引っかかりこそすれ、上掲箇所に違和感を感じることはなかった。仕事が特別できなくても、幸せならそれで良いという考え方が許容される空気が当時はあった。だが今日は、仕事の能力がない=負け組=自業自得という新自由主義的価値観を多くの人が内面化して生きている。このことには、もしかしたら現代の資本主義のありようが反映している。


資本主義の進展にともなう社会の変容という問題に、政治家たちも気づいているのだろう。先の衆院選や自民党総裁選でもさかんに「分配」というテーマが議論された。内閣は「新しい資本主義実現本部」などという検討会を発足させてもいる。議論がさかんになるのは結構なことではある。

ただ、思うのだが、資本主義なるものに対する根元的な吟味や、資本主義の現段階についての深い分析なくして、「新しい資本主義」もなにもないだろう。今げんざい私が見たところ、かの検討会には、そういった問題意識が見出せそうな気配がない。これまで幾度となく繰り返された「看板を掲げただけ」が、またも繰り返されるのだろうか……。


註)歌詞の男尊女卑的内容:
「俺より先に寝てはいけない」「俺より後に起きてもいけない」など。しかし、これらは男尊女卑そのものというよりも、そのカリカチュアライズ(戯画化)。いわばパロディーとみるべきだろう。

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