IZUMINO-izm 22年03月号より
ウクライナ問題の深層と心理的安全性

ロシアがウクライナに侵攻する少し前の先月2月16日、今回の危機の背景について論じた野田正彰氏の寄稿記事が高知新聞に掲載された※1。氏は、1932〜1933年に起きた大飢饉(ホロドモール)の記憶が、ウクライナの人々の国民感情にロシアに対する怨念として影を落としていると指摘する。そこで、私も1930年代のソ連がどんな状況にあったのか、わが家にあるロシア/ソ連近現代史の本の該当箇所を読み返してみた。

概要はこうだ。1917年にロシア革命が起き、労働者国家を標榜する国家が世界で初めて生まれた。ソ連邦である。内戦を経て国家建設を推し進めるソ連は、資本主義列強に対抗するため、1920年代末から急進的工業化政策を採用する。急速な工業化・都市化のためには都市労働者のために食糧を調達しなければならない。そこで同時期、大規模な農業集団化と強制的な穀物調達が始められた。農業集団化は生産増が目的だったが、実際には農民の生産意欲を減退させ、逆効果だった。それゆえ穀物調達はより一層苛烈になった。農民の逃亡を防ぐため、国内移動も禁じられた。1932〜1933年、飢餓が始まり、ウクライナ地方を中心に餓死者は400〜500万人に上った※2(上述の野田氏の記事では犠牲者数700〜1000万人)。

さて、困難な国家建設のためとはいえ、なぜこれほど明らかに間違った政策がとられたのか? ひとつ考えられると私が思うのは、国家指導部における相互批判/自己批判関係の欠如である。1917年革命のカリスマ的リーダーであったレーニンは1924年に死去し、この頃はスターリンの独裁が完成していた。それまでにトロツキーなどの政敵は次々と排除され、スターリンを批判し、誤った政策を軌道修正させる力を持った人物はいなくなった。スターリンも自身の政策の誤りを認めなかった。独裁はさらに進み、1934年のキーロフ暗殺をきっかけに、いわゆる大粛清が始まった。排除・処刑の対象は政敵から「党内外の潜在的敵対者」へと大きく広がったのである。1936〜1938年の間に政治的理由で逮捕された者は134万人、このうち68万人が処刑されたとされている。農業集団化失敗の責任を糊塗するためにスターリンが始めた粛清が治安当局のタガを外してしまったのだとも言われている※3

以上はあまりにも極端な例なのかもしれない。だが、ここから現代の私たちにも通じる教訓を引き出そうとするなら、「組織内で相互批判/自己批判の関係が保証されないと、組織は誤った方針を軌道修正できない」ということではないかと思う。昨今注目されるようになった心理的安全性は「組織や集団の中で非難や拒絶の不安がなく発言できる環境」と定義されている。「組織内で相互批判/自己批判の関係が保証されること」と言い換えても、不都合はないだろう。


※1)野田正彰:「遠くて近いウクライナ危機」(高知新聞特別寄稿、2022.2.16)
※2,3)横手慎二:「スターリン」(中公新書、2014年)

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