IZUMINO-izm 22年04月号より
ドイツ語、のようなもの

周知の通り、わが国では明治期の近代科学導入時、主としてドイツに範をとったので、ことに医学・医療分野などでドイツ語の影響が強い。近年は英語への置き換わりが進み、和製独語やドイツ語由来の用語・略語は次第に年寄り言葉になってきているが、根強く残っているものもある。

カルテ、レセプト、クランケ、ステルベン、マーゲン、ブルスト、EKG。病名ではアッペ、アポ、ザー、テーベー、MK、LKなど。以前は癌の告知は当たり前ではなく、カルテの病名欄にもMK、LK、〇〇Kなどと書かれたものだ。また、ムンテラとか、コストフライとか、ドイツ語まがい(英独混淆も)の珍妙なジャーゴン(符牒)も一部の現場では残っている。私などは若い頃、こうしたジャーゴンを一つ覚えたら、それは医療現場の経験を一つ積み上げた証だと思っていたが、よくよく考えてみると、実にくだらない。なぜならば、そもそもジャーゴンとは、集団が集団内で使うその集団内でのみ通用する共通言語のこと。ジャーゴンの濫用は、集団の排他的閉鎖性をより高めることにしかならないからである。

さて。医学・医療用語以上にドイツ語の影響力が残っている科学分野がある。化学物質の呼び名だ。生物学者の小倉明彦氏は、化学の国際学会が戦後初めて日本で開催された時のエピソードとして、彼の生化学の恩師が次のように言うのを何度も聞かされたそうだ。

「講演がまったく聞きとれなかったんだ。何せ、ダイミサイルキートンだからね。キートンていったら喜劇俳優でしょ。それがジメチルケトンのことだとわかったのは、講演が終わったあとだったよ。」
なお、この話のミサイルとは「methyl」で、メチルの英語読みである。兵器の「missile」とは何の関係もない。ま、それはともかく、ウクライナにせよ、日本海にせよ、剣呑なものが飛び交う世の中は、いいかげん終わりにしてもらいたいものだ。
※小倉明彦:「お皿の上の生物学」築地書館、2015年

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